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[小説 祭りのあと(8)]十一月のこと~嫁入り箪笥(その1)~

 「ズンズンズンズンズズズズ、ズンズンズンズンズズズズ、プリリーウーメン…」
 最近背中が痛い僕は、アーケードに流れる「オー!プリティー・ウーマン」のメロディに合わせて、背筋を伸ばして床の隙間を歩き回って、デタラメ英語を口走りつつ運動不足解消がてらに乗りまくっていた。
 ここ数日はお得意様からのお呼びがなく、店番の日々だ。
 暇な時間は毎曜日テーマが変わるアーケードのBGMに聞き入り、時に曲に乗って踊っているのだ。
 母には恥ずかしいから止めろと言われる。ガラス張りの正面から見えるからと。
 いやいや、まぁそう神経質にならなくてもいいではないか。
 とぼけっ放しのこんな僕に興味のある人などいる訳がない、宇部に戻るまで大変だったのだから、これくらいは見逃してよねと開き直って、今日も全身で動き回っていたのだ。

 「おい!まだ話は終わってないぞ!」
 何だ?
 通りの向こうから怒鳴り声が聞こえた。
 その声とほぼ同時に、口元を押さえて駆け出していく少女が出入口から見えた。
 偶然に彼女の視線とふざける僕の視線とが合ってしまった。相当気まずい。
 あれは家具店の娘である瑠美ちゃんだ。一瞬見ただけで、彼女の瞳が濡れているのが確かに分かった。
 そしてそのすぐ後に、お父さんである善彦さんが鬼の形相で店から出てきた。
 瑠美ちゃんを目で追い、どうしようもないなという顔をして振り返るタイミングに、またよりによってこの僕と目が合ってしまった。
 彼は無視し、僕は密かにおどおどした。
 下村のバカ息子に言ってもしょうがないといった、結構な蔑みを含んだ表情だった。
 これにも最近ようやく慣れてきた。彼はいつもこうなのだ。

 僕の電器店の左向かいにある石田家具店。
 善彦さんは三代目として、五年前に善之さんの跡を継いだ。
 元は大手証券会社社員といういわゆるエリートだった。営業不振であった家業を証券マンの経験を活かして、あらゆる手法で立て直したやり手なのだ。
 その自負もあるのだろうが、時に棘のある態度が出る彼は商店街でも相当浮いた存在だ。
 自分は格上だ、絶対的正義だという思い上がった態度は、相当感じが悪い。
 「これだから都会もんは……」と、店主会などでたまに彼と僕とを一括りにされることがある。本当に勘弁して欲しい。心外だ。
 人情派だった善之さんとは大違いだと、陰では結構言われている。
 奥さんの鈴恵さんがいい緩衝剤となって、彼と商店主との間をなんとか取り持っているといった感じだ。

 僕は恐る恐る店の外に出てみて、瑠美ちゃんの行き先を東口に向けて確認してみたが、彼女の姿はもうなかった。
 なかなかの難題がこの商店街にも降り掛かってきたと、僕はその時なんとなく感じた。
 その曖昧な直感は、すぐに本物だと分かることになった。

 その日はなんとなく美味しいブラックコーヒーが飲みたかった。
 僕は夜の八時過ぎに喫茶フラミンゴを訪れた。
 店の奥に瑠美ちゃんの後ろ姿が見えた。
 向かいにはかおるがいて、瑠美ちゃんの隣には綺麗な栗毛をした若い男性が座っていた。
 鉄紺色の作業着を見て、彼が西岸の硝子工場に勤めていることはすぐに分かった。
 どういう経緯かは知らないが、若いお二人、お似合いでいいじゃないか。
 「あ、恭介さん。そういうことなので、よろしくお願いします」
 「へぇ!?」
 このかおるという子は、説明もなく突拍子もないお願いをこうやって時々してくるのだ。
 待ちなさい。話をちゃんと聞かせなさいと、僕は彼女の隣に座った。
 もちろんマスターにはブラックを注文して。

 すっかり泣き疲れた表情の瑠美ちゃんと、神妙な顔つきのどこか欧米系の匂いが漂う青年とテーブル越しに向かい合い、僕は話を聞き始めた。
 「恭介さん。いきなりなんですけど、瑠美ちゃん妊娠したそうなんです」
 「はぁ!?」
 かおるに僕は二度びっくりさせられた。二度目のパンチ力が遥かに強過ぎた。
 高校二年生で身ごもるとは。善彦さんがあれだけ怒るのも当然だと納得した。
 「で、もしかして彼がお相手ってこと?」
 「はい。俺が父親になります」
 睨んだつもりはないのだろうが、彫の深いハンサムな顔立ちから放たれる眼光が鋭くて、僕は一瞬怯んだ。
 だが彼のその目をよく見ると、真剣な思いがはっきりと伝わる嘘のないものだと、すぐに分かった。
 「ごめんなさい……私があの時に……」
 「いい。俺が言うから」
 瑠美ちゃんが再び泣き出しそうになったところで、彼は制止した。
 日本人らしからぬ風貌で流暢な日本語を話されると、こちらのほうが混乱してくる。
 「彼女がバイトをしている店に、俺が客で来たのが始まりでした。俺が山口から来てすぐのことでした。俺から声を掛けて、暫くしてから付き合い始めました。夏祭り、ありましたよね。あの夜、俺と彼女は一緒にいました。二人は一晩、一緒にいました。その日にきっと、出来てしまったんだと思います」

 中田英嗣というこの青年は、山口市からこの春に就職で宇部に来たばかりの十八歳、岩国基地の元軍人の父親と、地元山口生まれの母との間に生まれたハーフだ。
 その風貌が原因でハーフに慣れていない山口での日々は不遇だった。同級生からはいじめられ、学校では不良扱いされたのだ。
 「逃げ出すように宇部にやってきて、仕事もなかなか慣れずに苦しんでいた時に出会ったのが、瑠美なんです。彼女はこんな俺にも偏見なく優しく接してくれて。もちろん店員さんってそういうものだと思ったんですが、彼女は違うと、直感で感じました」
 その丁寧で真面目な口調から、彼の実直な性格がとても理解できた。
 逃げ出すように故郷を出る……彼をそこまで追い詰めたもの……
 大学に出るためになんとなく、フワッとした思いでこの街を出た甘ったれの僕には、とても想像できないことだ。
 酷い仕打ちを受けながらも、道を外れずにここまで来た彼は、とても立派に見えた。

 「でもこれはなかなか理解してはもらえないことだよね。中田君はどう考えているの」
 彼の視点はテーブルに置かれたまま。
 まだ子供扱いされてしまう自分自身を、大人の世界にどう理解してもらえるのか。慎重に考えて、言葉も選んでいるようだった。
 若くしてこのような態度をする彼に、僕は痛々しいものを感じずにはいられなかった。
 「俺が直接話さなければ、解ってもらえないと思っています」
 「そうだね。それが一番早いじゃろうね。ただお父さんの怒りは結構なもんじゃったよ。簡単にはいかん筈よ」
 僕も独身の身でありながらも、真剣に向かおうとしていた。こういった経験の少ない僕にはかなりの難題ではあったけれど。
 「恭介さん。何かいい発明できませんか。お父さんを納得させるまではいかなくても、少しでも間を取り持つような何かが……」
 かおるの提案にも簡単には頷けない。
 ただ、この黒い石の力が何かの役に立たないだろうかと、僕は考えていた。

 「中田君。もしかしたらこれ、君に何か力を授けてくれるかも知れん」
 僕は右ポケットから、黒い石を取り出して掌に乗せて彼の前に差し出した。
 彼は不思議そうにその石を手に取り、見つめていた。
 「俺、神様とか信じていないんです……神頼みなんてしても何も変わらないって、小さい頃に信じるのを止めたんです」
 それはそうだ。
 いくら願っても何をやっても、周囲は彼の本当の姿を理解してくれなかったのだから。神様仏様など当てにならないと思うのも無理はないだろう。
 ただ、僕は可能性を信じてみた。
 「ただポケットの中に忍ばせておくだけでえーんよ。自信が折れそうになったら、手を当ててその自信を確信に変える。それだけでえーから、やってみんかな。こう言う僕も確信はないけど、もしかしたらと思って」
 僕はこの石にどれだけ助けられたのかを、初対面の中田君に正直に話した。
 かおるも瑠美ちゃんも、最初は半信半疑だったのが徐々にその力に驚き出した。
 するとフラミンゴの穏やかな灯りで、一瞬その石は玉虫色に輝いた。
 「分かりました。お借りします。瑠美。俺、お父さんにご挨拶に行く。今度の土日のどちらか、都合をつけてもらえんか」
 瑠美ちゃんは「うん」と答えた。
 相手はかなりの強敵だ。勝機ははっきり言って僅かだ。それでもまさかのこともある。
 彼の一途な思い。たった一つだが、それは大きな力を持つ武器になる筈だ。

 「私、心配です。一緒に付いていったほうがいいと思うんですけど」
 僕は考えた。運ばれたコーヒーを一口飲んだ。
 ほのかな酸味と強めの苦味が絶妙なハーモニーを醸し出し、ミディアムローストの程良い香ばしさが口の中から鼻腔に通り抜けた。
 そして僕は結論を出した。
 「いや。僕らは同席しないほうがいい。二人で正直に、思いをぶつけたほうがいい」
 「はい。俺もそのほうがいいと思います」
 中田君の決意に満ちた姿に、僕の確信は更に深まった。
 きっと彼なら、乗り越えられると信じた。
 お店には僕たちしかいなくなっていた。閉店時間をとうに過ぎていたのだ。
 それでもマスターは片付けに勤しみながら、僕たちを温かい表情で見つめていてくれたのだった。

(その2に続く)


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