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英語学習と体験シリーズを#4まで書き終えたこのタイミングで、どのように英語と関わってきたか振り返ってみます。

たいして役に立つ内容ではないので、ヒマな人だけ読んでいただければと思います。


1, 小学校時代 親がアメリカ人をホームステイで受け入れ!

私が小学校2年生くらいだったと思いますが、おそらく母親の意向でアメリカ人女性をホームステイにウチに招いたのです。

彼女の名前はプリシラ・グレイバリー・・・だったと思います。

ダラス州だかテキサス州だか出身の金髪の大学生でした。

母親がそこそこ海外が好きだったみたいです。若い頃、イギリスやフィリピン、フランスに行っていたそうな。

そのノリで招いたのかもしれませんが、当時のウチは団地ですよ団地。テキサスやダラスって広大な牧場でだだっ広い家に住んでると思うじゃないですか。

よく呼んだなあと思います(笑)

ブロンドのプリシラさんとの思い出は、遠い昔なのでほとんどありません。覚えているのは大きなトレーナーをくださったことと、彼女が帰国する日に私は友達と遊びたかったのですが、空港まで見送りに付き合うのがイヤでしかたなかったことです。

彼女は今も元気でやっているのでしょうか。いい日本の思い出として時々思い出してくれていたら、、、それは素敵なことですね。


それと英語スクールにも行かされてました。ABCや曜日の歌を歌ったりするところで、やる気がなくて外に出されたこともありました。



2, 中学時代 最初は張り切った英語の授業もすぐに挫折。中2の2学期成績は「1」

私の時代は中学校から英語の授業が始まったのですが、英語の授業は好きでしたね。最初だけ。

勉強嫌いの私でも最初は簡単ですからね。でも次第に品詞やら文法が出てきたらもうダメです。

中学2年生の2学期の成績は「1」でした。授業態度も最悪でしたね。


3, 高校時代 バンドに誘われグリーンデイ、ハイスタ、オフスプリングと出会う。大学受験に向けて猛勉強!

そんなわけで偏差値の高くない普通科の高校に行くのですが、相変わらず勉強はせずに過ごします。

ある日中学校時代の友達からバンドに誘われました。ヒマだったので誘われるがままにドラムをやることに。

コピーするバンドはアメリカのパンクバンド「Green Day」

世界的ヒット曲になった「Basket Case」を含むアルバム「Dookie」を聴きまくり、叩きまくりましたよ。歌詞は当然英語です。

その後も歌詞が英語の曲をやり続けるので、英語の「音」には多少慣れていたかもしれませんね。


学業の方ですが、大きな変化がありました。

勉強大嫌いだった私ですが、どうしても大学に行きたくなりました。理由は「社会に出るのが怖かった」からです。

低偏差値でしたから、4年生の大学に受かるには今のままでは絶対にどこにも引っかかりません。

そこで父親がくれた本が私を救いました。

東進ハイスクールで有名な安河内哲也先生の

「英語をはじめからていねいに」

これをやり込みました。CD付きで安河内先生が実際に語りかけてくれているようで、やる気になりました。

Be動詞とは・・・みたいなところから勉強して高校の成績はぐんぐん上がり、このときに「勉強はやればやっただけ伸びる」ということを知ります。

安河内先生のおかげで、公募推薦枠をゲットして大学に進学できました。


4, 大学時代 英語でオリジナル歌詞を書いた経験。

大学に入ると高校時代のバンドが解散になり、新しいメンバーでバンドは続けました。

ギターのメンバーが曲を作り出して「おまえも歌詞ぐらい書けよ」ということで作詞にチャレンジすることに。もちろん英語で。

ベース担当が英語に自信があるらしく「いくらでも添削してるから心配するな」と上から目線で言ってきたのを覚えています。

ウンウンうなって書いた詩のタイトルは「Praying」

「祈る」方ですね。

助け合う友達同士の祈り みたいな内容でした。


そして就職とともにバンドは解散し、社会人になります。


5, 社会人時代 会社の旅行で行く海外旅行が楽しかった。離婚と筋トレが人生を変えた。

22歳から大手家電量販店で働き、地元の製造業に営業として転職したのが26歳でした。

2年ごとに社員旅行があるので28歳でそれに参加。行き先はグアム。

本当に楽しかったですね。見る物全てが日本と違う。英語で話しかけてリアクションがあると嬉しい。意思疎通がこんなに楽しいなんて。

それからバリ島、マカオ、台湾、タイに2年ごとに行きました。


プライベートでは33歳で結婚しましたが、3年後に離婚しました。

とても辛かったですね。

なんとか自分に自信をつけようとダイエットをしますが、間違ったダイエット方法で10キロ減量します。

鏡に映る自分はヒョロくてがっかりしました。

ワラをもすがる思いで大手パーソナルトレーニングジムに入会し、14キロの増量で筋肉を増やし、そこから8キロ減量してそれなりの体になりました。

そこでわかったこと「どんなに苦手なことでも、正しい方法でちゃんとした指導者がいれば、なんでも結果が出せる」ということ。

その時の私は自信にあふれていました。

「英語やりたい」

ふと思いました。ちゃんとやれば英語だってできるはずだ。


私はECCに入会して英語を基礎から勉強しなおします。


6, 脱サラして本気で英語を勉強したい!留学を決意し候補地を選ぶ。マレーシアかフィリピンか。

「このまま仕事して10年たっても、たいして変わらずつまらんな」

「もっとがっつり英語やりたいな」

そんなことを思い始めます。

まだまだ自信にあふれていますから、行動が早かったです。

留学について調べると、どうやらセブ島がいいらしい。

一方、メジャーではないがマレーシアもいいらしい。

色々あってセブ島を選びます。

いつかこのこともしっかり記事にしたいと思います。


会社を辞めていざ留学へ。


7, 2ヶ月短期留学からベトナム→セブの学校で働くことに

私の留学は成功でした。レベルは少し上がっただけですが、何が起きても前向きに取り組めて、とてもいいステップになりました。

その後、進路が決まっていない私を学校のマネージャーが「一緒に働かないか」と誘ってくれて、まずはベトナムの学校で3ヶ月、その後セブに戻り半年働きました。

ベトナムのホーチミンが居心地が良かったので、セブでの勤務を終えても帰国せずにホーチミンで4ヶ月ほど暮らしましたね。


8, 英語を使って日本語を教えることに

帰国後は「自分も言語を教えてみたい」ということで日本語教師を志し、専門学校で日本語教師要請420時間講座を受講し修了。

日本語学校には所属せず、プライベートのリモートレッスンをしていました。

一生懸命準備して、英語で日本語を教えていました。3年前では考えられないことです。


振り返ってみると、勉強は嫌いだけど、英語が好きなんでしょうね。

ライター活動がうまくいってくれれば、また英語にコミットしてみたいです。

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