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無理に他人に近づかない。今必要な情報はきっと自然に入ってくる。

本格的な冬だ。今日の外は大嵐。
特に急ぐ仕事もない。自営業の決算事務も、ネットやテレビのない部屋でひとり黙々と進めているから、8割終わっている。締め切りもまだまだある。

私は、以前から自分の家族に抵抗がある。特に母親には。最近は家でほとんど自分から会話をしなくなったし、この人の前では何事も受け身でいようと思った。

どんなに些細なことでも、母親を見ると顔色を伺ってしまうから何も話せない。……嫌いと言うよりは可哀そうな人。そう気持ちを切り替えるようにすることで、自分を楽にする。

仕事もほとんど一人だし、最近深く会話をしている大人がいないことに気づく。4歳の娘を保育園に送り出し、野菜を出荷し、決算の仕事をして1日が終わるのだ。

昼休みは自宅に帰ってくるのだが、テレビもつけない。少し英語の勉強をしたり、録画しておいたドラマを見たり、ゲームをする。朝や夕方見るテレビは、ほとんどがEテレ。

つまり、最近の出来事がわからないのだ。昨日、たまたま夕方のニュースが見れて、沖縄でのコロナ感染数の多さや、北朝鮮からのミサイル発射などに気づいた。

あぁ、世の中は私の知らないところで動いているんだなぁとふと思った。

いい大人なんだから、世間に目を向けろなんていう人もいるかもしれないし、こんなんじゃ親としてダメだと思われるかもしれない。

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とある日、母に言われて、2回目の野菜出荷をすることになった。車の中でラジオを聴きながら向かう。すると、とてもいい情報が流れてきた。

小さな子供というのは、お風呂のように暖かいお湯に入れるかのように、甘やかして、愛情をたっぷり注いでおくべきです。そんな暖かいお風呂に入っていれば、やがて温まって自分から出ていきたくなる。それを正しい自立というんですよね。…温まりきらない子は、お湯に出たり入ったりを繰り返して、自立ができなくなるんですよ。

それから、地域の小学校からの回覧板を何気なく読んだ時に、目に入った言葉。

『幼児までは、根拠のない愛を注ぐこと、小学校になったら、自分が役にたったり、何かできることで褒めていくことが、自己肯定感や自立につながる。』

私は常に、娘には私の子ども時代は繰り返して欲しくないから、母親の忠告はなるべく受け入れたくないのだ。「子供にはお手伝いをさせなくちゃ」と娘や私に言った母だが、母は自宅にいる時、常に食事を作るのを嫌がっていた。「どうして私だけが働いて、食事を準備しなくちゃならないんだ」そんなふうに言ったり、嘆いたりしている中で、子どもが手伝いなんてしたくもなくなる。

繊細だと言われた娘。今大事なのは根拠のない、愛。親がイライラすることもなく、のびのび過ごせる家庭。それが必要なんだと、この情報で気がついた。「〇〇しなくちゃいけない」といった、条件付きの愛情みたいものは、娘にとっては今は必要ない。

こんなふうにインターネットが普及しても、ラジオや回覧板などで私にいい刺激をくれた情報たち。自分に必要な情報は自然と入ってくるんじゃないかと思った。

人との距離が辛いときは、私は離れた方がいいと思う。無理やり近づく必要はない。それが家族だったとしても、職場の人だったとしても。近づいて傷つく方が私には合ってない。そう思うのは、私の性格なのかもしれないけど。

世間なんて知らなかった、おいてきぼりにされたと思っても、日々自分の為に好きなことをしようと思う。もうこの今は、取り返せないのだから。どうせならこの有益な時間を、自分の好きなことに使おう。

誰ともまともに会話をしないで、世間の事にも無関心になるって、まるで動物の冬眠みたいだ(笑)。だけど、そんな日も心を休めるのには必要なのかもしれないな。






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