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【私の仕事】 忘備録(86)子供の頃の話


◆この記事の内容:

自分の子供の頃を思い出して書いています。


とび込み営業

さて、新規開拓だ。といっても「とび込み営業」しかない。

サラリーマン時代、企業で営業として働いていたとき、会社の中に新しく部門ができた。新規顧客開拓のために「跳び込み営業」らしきことを1年ほどやって経験があった。と言っても、ある程度は新規開拓をターゲットにしている地域の訪問先のデータはあった。

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それでも「めくらめっぽう」(現在、この表現アウト)で跳び込みするわけではない。


自分の会社の3つの仕事

自分の会社の3つの仕事は、1.貿易業務サポート 2.ネームプレート制作販売 3.エステ関係の広告。1と2は、顧問をやってもらっている人がいる。困ったときに助けてもらったり、仕事を紹介してくれたりしてもらっている。

3は自分が広げた仕事だ。この仕事に関する部分は、顧問をしてもらっていない。頼んでもやってくれないと思う。

そもそも、1と2の仕事に比べ、なぜまったく業界が異なる3の仕事をしているのか。。。。

それを理解して頂くのに、僕の子供の頃の実話をします。長い文章になります。 詳しい「新規開拓」はこの後に書きます。


子どもの頃の環境

僕は子供の頃からエステ業界と同じような環境で育っている。父は公務員だったが、母はサロンを何十年も経営していた。最初は日本橋で店を出して、その後、地元ビューティーサロンをやっていた。ヘアー(パーマ、カット、ネイル含む)美容全般の店。いつも従業員が男女数名いた。着付け教室もやっていた。

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なので、エステのママさんたちが美容関係の商品、薬品、器械を購入する大手のO商会などは、ママさんたちより僕の方がよく知っている。子供の頃から母親が、店で使う美容品の買付に行くのに、僕は連れて行ってもらったからだ。

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商談の間、子どもの僕は暇なので勝手に道頓堀の「引っかけ橋」(戎橋のこと)まで行って母に叱られた。

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こんな環境で育っているので、従業員に男女がいる場合は、特に女性だけの従業員より店でトラブルが起こるのは、実体験として子供の頃から熟知している。母親がトラブルを起こした従業員を部屋に呼びつけて叱ってからだ。

そういうとき、僕は自分の部屋にいるように言われたが、子ども心に、どうしてその従業員が叱られてるのか盗み聞きをしていた。

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かなよ~なる

「へえ。。。大人って、そんなことするんや。。」

それしても、「男と女がなかよーなる(仲良くなる)って、どういう意味なんや?」と子供の僕は思った。

一度、従業員の女の子(当時20歳くらいだと思う)に聞いた。

「なぁ、なかよ~なるってどういうこと?」

「子どもはそんなこと、知らなくていいの!」

おばあちゃんにも同じことを聞いたことがあった。おばあちゃんは、母の親の方で、家事を手伝っていた。

「なぁ。おばあちゃん。『なかよ~なる』って悪いこと?保育園の先生は「仲良くしましょう」って言うてるよ。」

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「あんた、それ、だれから聞いたん?」

「え。。っと。わかったわ。『なかよ~なる』って悪いことや。」

「お母さんは今、店か?ちょっと呼んできて。」

その後、母はおばちゃんに叱られたようだ。子どもの僕といっても、当時は保育園の3から4歳。家で店を経営しているので、店での従業員同士のトラブルが多い。

要するに、小さい子どもの僕にとって「環境」が悪い。

おばあちゃんが母を叱った後、今度は僕は盗み聞きしたことを母から叱れて最悪だった。

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そして、さらに、当時小さい子供の僕にとってもっと最悪なことが起こる。


超最悪

従業員のうち、数人は家に住み込みで働く。ときどき、従業員同士のケンカで警察がくることもある。

なぜ、そんなにトラブルが起こるかというと、従業員といっても、16歳から25歳くらいで、学校で問題を起こして退学になった子や、両親がいなくて施設で育った子など、複雑な事情がある子ばかり。

「あの頃はうちのような店には高校をちゃんと卒業した子なんて雇われへんかったよ。」ということを大人になってから父から聞いた。

ある日、店のお金を持ち逃げした従業員の女性がいた。警察には言わないで僕の父が目ぼしいところを探し回って、その従業員を捕まえて家に連れてきた。

母がその従業員に「どうして店のお金を盗むようなことをしたのか、捕まらないと思ったのか」など、問いただす。

でも、普段はおとなしく、話すとき声が小さいその女性の従業員が、不思議なことに歌うように大きな声でよくしゃべる。

母がピン!ときて、その子に「あんた、腕、見せてみ!」と怒鳴った。

案の定、覚せい剤をやっていた。

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小さい頃から家によく警察が来たので、今でも警察には慣れている。両親の兄弟は皆、警察関係者だ。

その女性従業員はどうなったかというと、僕の両親が仕方なく警察に連れて行った。店のお金を窃盗なら両親でなんとでもできるが、覚せい剤なら警察に出頭させるしかない。住み込みで雇っていたので責任者は僕の両親になる。

その女性、当時19歳。鹿児島出身。親はいない。住み込みで雇っていたので、当然ながら責任者は僕の両親になる。


超最悪

従業員が美容の国家免許をとるため美容学校へ通う学費はうちの店、僕の両親が出していた。その分と給料を調整していたんだと思う。今、大人になった自分が思うに当時の若い従業員、、といっても16歳なんて子供だ。


やっぱり、トラブルが絶えない若い男女の従業員の中で子供の僕が、この家にいるのは環境がよくない、かわいそうだということになった。

子供のことを考える普通の親の正しい判断は、もともと心斎橋で美容店を出してたので、以前のように家と店は別々の場所ですればいいい。

「子供の環境のために家と店を切り離すべきだ。」となるはず。

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ところが、ところが、僕の親は予想もしない結論を出す。

「毎日朝から夜まで、どこかでこの子を預かってもらおう!」となった。

小さな子供の僕にとっては超最悪だ。

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そもそも毎日朝から夕方5時まで保育園にあずけられていた。その後、家から近い公営団地に住むおばさんのところで世話してもらうようになったのだ。そのおばさんは、父が知り合いのまた知り合いから聞いて探してきたらしい。

母の美容の店は夜9時頃までやってたので、そのくらいの時間まで預かってもらっていた。そのおばさんは、保育資格はなく、勝手に子どもを預かることでお金をもらっていた。僕以外にも預かってもらっている子は何人かいたようだ。もちろん、違法。

僕はもう覚えてないが、おばさんの言うことはまったくきかず、暴れて仕方なかったらしい。手におえないから、数日でおばさんの方から断ってきたらしい。他所では夜遅くまで預かってもらうところはなかったので、両親はたくさんお金を上乗せして、おばさんに頼みこんだらしい。

大人になってから両親から聞いた。

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今ではほとんど忘れてしまったが、そのおばさんの家でミニカーを投げつけてわざと窓ガラスを割ったことだけ覚えている。


母に聞きたいこと

昔の話なので、小さい頃の写真アルバムを見ながら、今このnoteを書いている。

未だに母に聞けないことがある。毎朝、小さい僕をそのおばさんに預けるとき、僕は泣く。そして、母も泣く。

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「泣くんだったら預けへんかったらよかったのに。」と、大人になった僕は母に聞きたい。

これを妻に言ったら、「そんなこと、絶対、お母さんに聞いたらダメよ。」と強く言われたので、もう忘れることにしている。


寂しい子を預かる

寂しいことが大嫌い。涙を誘う映画を観たり、悲しい本も読んだりしない。

でも、寂しい人の気持ちは分かるのかもしれない。

寂しい人が僕に引き寄せられるのか、それとも、僕から関わってしまうのか。。。とにかく、たくさん集まるような気がする。

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両親が何回も離婚し中学校で問題ばかり起こしている札付きの不良少年がいた。頼まれて、その子の面倒をみたことがある。最初はうまくいった。元々、その子が幼稚園の頃から遊んであげていたので、僕の言うことはよく聞いた。

それでも、「あの子、あんたと遊んでるときは、笑ってるけど、普段はいつもさみしい顔をしてるよ。」と、妻は僕に報告してくれた。

彼は更正して高校に行くようになったが、その高校で問題を起こして退学になり、そのまま、中学時代の悪い仲間とまた遊ぶようになった。

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そして、地元ではなく大阪以外の場所で暴力団の準構成員になった。地元だったら、その関係に友達がいるので、頼もうかとも思ったが、僕は当時、会社勤めをしていたので、暴力団関係者となると彼の面倒をみることができなくなってしまった。組の人が面倒をみるシステムのはずだ。

でも、彼の寂しい表情がいつも自分の頭の中にあった。たぶん、自分自身のことのように錯覚したのかもしれない。

数年後、地元の祭りで、彼とばったり会った。暴力団からキッパリ足を洗って、結婚し、奥さんが子供を抱っこしていた。

暴力団と言っても、友達の警察に調べてもらったら、正式な構成員にはなってなかった。そうでないと簡単にはやめることはできない。

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暑い夏祭りだったが、彼はハッピの下に長そでのシャツを着ていた。それでも、首のところから、入れ墨が見えたので、僕は「ちょっと見せてみ。」と言って、シャツを少しまくり上げた。まだ途中で、未完成だった。

僕:「全部入れるんか?」

彼:「入れないです。お金ないから。」

僕:「アホか、そんな問題ちゃう。」

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奥さんは苦笑いしていた。まぁ、奥さんはしっかりしてそうだから大丈夫だろう。そう信じたい。


小さな会社の社長

それから数年後、大阪の心斎橋で会った。彼はグレーのかっこいいスーツを着ていた。部下であろう男性が二人付き添っていた。

僕:「おお!こんなところで会うなんて、ホストやってんの?」

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決してそんな風には見えなかったが、いいスーツを着ていたので、ボケてみた。

彼:「何言うてはるんですか、そんなん、やってないですよ。」

そう言って、名刺を渡してくれた。土木関係の社長だ。

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僕:「すごいやん。社長か。背中は完成したんか?」

と、もう一回ボケてみたら、彼は真剣な顔になって、

彼:「ほんまもう、やめてください。あれ、今なったらせんといたらよかったと思ってるんです。」

入れ墨のこと、部下は知らんのかな。

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僕:「俺、今から行くとこあるから、また連絡するわ。」

と言って、別れた。

あ!そうだ。彼に十三の新規開拓でいろいろ協力してもらおう。しまったなぁ、自分の名刺を渡しておけばよかった。


【私の仕事】 忘備録(87)「新規開拓」の開始と問題点 へつづく。。。



*このnoteで書いてある記事はすべて実話です。「忘備録」として自分のために書いています。


◆ご注意:一部の記事はnoteのシステムによって18歳以上向けに分類されていますが、すべて18歳以上向けです。

よい子の皆さまは読まないでくださいね。