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『「介護時間」の光景』(194)「深呼吸」。2.20。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

(※この「介護時間の光景」シリーズを、いつも読んでくださっている方は、よろしければ、「2001年2月20日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 
 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年2月20日」のことです。終盤に、今日「2024年2月20日」のことを書いています。

(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。

2001年の頃

 個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、仕事をやめ、介護に専念する生活になりました。2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。

 母の病院に毎日のように通い、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。

 入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。

 だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。

 それに、この療養型の病院に来る前、それまで母親が長年通っていた病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。

 ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。私自身は、2000年の夏に心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前。今度、無理すると死にますよ」と医師に言われていました。そのせいか、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。

 周りのことは見えていなかったと思いますが、それでも、毎日の、身の回りの些細なことを、メモしていました。

2001年2月20日

『午後2時20分頃、病院へ出かける。

 母は、不幸なんだろうか。そんな思っても仕方がないことを思っていた。

 午後4時過ぎに、病院へ着くと、母はふとんを首までかけて、ベッドの上でぼんやりとしている。

 弟が先日来たのは覚えていたけれど、それが何曜日かは、ちょっとわからなくなっていた。

 お風呂は?

 と聞いたら、「えーと、今日はこれから、今日は、水曜日だから」ということだったのだけど、今日は火曜日だった。

 そのことを伝えると、「あ、そうだ。昨日だ。それで、少し頭打ったの」と、心配になることを言い始めるが、なんだか混乱していた。

 病室の小さな机の上のノートは、もう2月21日の日付になっていた。

 ごめんを繰り返す高齢女性の声。それから、あーあーあー、という高齢男性の叫び。

 荷物をたくさん持って歩いてくる女性患者は、昔は看護師をしていたと聞いた。
 そして、自分が外出したいのに外出させないことに対して「おかしな病院ね」と一瞬冷静につぶやき、そのあとは独特の理屈を早口で並べ始める。

 相手をする人が大変そうだと思った。

 それでも、基本的には平和な時間が流れている。

 ただ、そのうちに母が繰り返しを始めてしまう。

「お風呂、今日だっけ。あ、昨日、入ったんだ」

 その度に、昨日は火曜日でお風呂に入ったことを伝えるが、だんだん、今日は何日か分からなくなったみたいで、何度も聞かれて、何度も答える。

 そのうちに少し落ち着いたみたいだった。

 そして午後8時頃、帰った。

 最近、病院に着くと、母は、いつも寝ていると思う。

 夜10時頃、コンビニで弁当を買って家で食べる。

 夜中の介護が始まっていた頃だったけれど、しばらく経って気持ち悪くなった。

 下痢と嘔吐が続く。

 体調が悪くなった』。

深呼吸

 午前8時頃、急に起きる。

 夜中2時とか3時まで介護をしているから、普段はもっと遅くまで寝ているのに、目が覚める。

 息苦しいかもしれない。
 呼吸に必要以上に意識がいって、うまく呼吸ができなくなってくる。

 色々な映像も含めて、今までに見てきた過換気の状態で苦しんでいる人たちのイメージが自分の中にいっぱいになる。

 この何年か、心臓の発作を起こし、死ぬかもしれなかったし、今も、毎日、ずっと緊張と先の見えなさの中で生きているし、自分が過換気の発作を起こしてもおかしくない。

 苦しい。呼吸がうまくいかない。

 無理にでも深呼吸を続けているうちに、少し落ち着いてきたけれど、そのうちに眠ったか、眠らないか分からないけれど、気がついたら、目が覚めていたから、少し眠れたのだと思う。

 起きても、何か胸が締め付けられるような感覚が続く。

 心房細動の発作を起こし、レントゲンで見た自分の心臓が異様に変形していて、それは左心房肥大と言われたけれど、幸いなことに後遺症もないまま、今も薬は飲み続けている。

 何かあると、心臓に出るんだろうな。
 そんなことを思って気持ちが暗くなる。


                        (2001年2月20日)

 
 
 それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。

 だが、2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2024年2月20日

 昨日まで雨だったのだけど、今日は天気がいい上に、ウソみたいに暖かくなった。

 このところ、寒くなったり、気温が上がったりと変化をしているせいか、今日も体調があまりよくない。

 それでも、せっかくの晴れだから、洗濯をする。

 道を歩いている人は、上着を脱いで、抱えている人も少なくない。

更新

 2014年に臨床心理士の資格を取得した。

 それから気がついたら10年が経とうとしていて、この前、写真を撮って、書類を整理して、2度目の更新手続きをした。

 そんなに年月が経っているのに、まだ力も足りないし、成果はもっと上がっていなくて、時々、自分にがっかりもする。

 公認心理師の資格は、2019年に取得したから、最近と思っていたら、すでに5年が経とうとしている。

 最初は、資格試験のテキスト自体も、こんなにしっかりしていなかったと思うから、資格試験としての成熟はしているのかもしれない。

 だけど、公認心理師の資格をとってから、その資格の意味のようなものを強く感じることは少なかったし、社会の中で心理職の重要性が増したりする気配もあまりないままだと思う。

 例えば、医療系のドラマを見ていて、「こういう仕事は心理士(師)にやらせてもらった方がいいのに」などと思える場面が多いけれど、そこで心理士(師)が話題になることも、ほとんどない。

 心理士(師)の仕事に関して、これだけ社会に理解が広がっていないのを感じつつ、同時に、これからもそれほどの広がりがあるような気もしない。それでも、自分がまだいろいろと足りていないから、できることをやっていくしかないのは、ずっと変わらないのだと思う。



(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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