マガジンのカバー画像

伝説のこどもたち

23
私の出会った子どもたち、私にいろんなことを教えてくれた子どもたちについて綴っています。
運営しているクリエイター

#重度知的障害

伝説のこどもたち けんちゃん

伝説のこどもたち けんちゃん


肢体不自由児施設で働きはじめて数年経った頃、

感覚統合療法の講習会後、しばらくして感覚統合療法室を作ってもらいました。

私がデザインした滑り台、運動発達のおくれたこどもたちを介助しながら滑ったり、四つ這いで登らせたりするためのものです。未だに、同じデザインのものを今の職場で使っています。そのほかにも、ブランコ、小豆のプール、バネ付きブランコいろいろなものを自分で作ってこどもたちとあそんでまし

もっとみる
伝説のこどもたち まこちゃん1 支援とは?

伝説のこどもたち まこちゃん1 支援とは?

まこちゃんは、メビウス症候群という診断がついてました。

メビウス症候群とは、「眼球の外転神経と、顔面神経に麻痺を生じることが主症状」です。

すなわち、表情がありません。

まこちゃんは、それ以外にも、嚥下障害や、下肢の麻痺と変形もあり、重度の知的障害でもありました。

日常生活動作は、全介助にちかく、また、発語がないのでコミュニケーションも取れませんでした。

1年生になっても、話すこともでき

もっとみる
伝説のこどもたち まこちゃん2  介助とは?

伝説のこどもたち まこちゃん2  介助とは?

訓練室では、車椅子からマットに、抱っこして下ろしてマットの上で、音楽に合わせて身体をうごかしたり、ふたりでブランコに乗ったりするような遊びをしていました。

ちょっとだけ、笑ったような顔をすることもありました。

当然、訓練が終わると抱っこして車椅子に乗せます。

センターの長い廊下で、車椅子を押しながらわたしは、いつも歌をうたってました。そしてまこちゃんは、いつも穏やかでした。

その日は途中で

もっとみる
伝説のこどもたち ゆかちゃん3

伝説のこどもたち ゆかちゃん3

ゆかちゃんとおかあさんの毎日は、その日から変わりました。学校から帰ったら、ゆかちゃんの手を持ってその日の出来事をお話しするのです。(書くのですけどね)

わたしたちは、全く気づきませんでしたが漢字や簡単な英語も読めていました。 

その日、私は、ゆかちゃんを背にしてお母さんと話をしていました。

「ねぇ、本当ぜんぜんわからなかったね。ゆかちゃんがわかっているということ、ねぇ」二人で愉快な話をしてい

もっとみる
伝説のこどもたち ゆかちゃん4

伝説のこどもたち ゆかちゃん4

毎週、ゆかちゃんに会うのは、とても楽しみになりました。最初のうちは、わたしがゆかちゃんの手を支えて文字を綴っていましたが、いつしかそれはおかあさんの役目になり、わたしはもっぱら質問をしていました。

作業療法士としてのわたしは、誰かの手を使って書くのではなく、自分の手で書いて欲しいと思っていたのでペンを持ちやすくしてみたり、一人で持てるようにペンを固定したりと、いろいろなことをしました。結局は、ト

もっとみる
伝説のこどもたち ゆかちゃん5

伝説のこどもたち ゆかちゃん5

長崎大学でのカニングハム先生の講義がはじまりました。「きょうは、□□のお話をする予定でしたが、わざわざ岡山から来られている方がおられるので、FCのはなしをします」

えー!わたしのために、わざわざ講義内容を変えてくださるなんて

アメリカでのビデオを基にFC(faciritated comunication)とは何かという話が始まりました。それは、まさにゆかちゃんとわたしたちが見つけたコミュニケー

もっとみる
伝説のこどもたち ゆかちゃん6

伝説のこどもたち ゆかちゃん6

ゆかちゃんとの話は、とても面白くていろんなことを質問しました。不思議なはなしもありました。

お腹の中にいた時の話を聞いたときも、

あかいみずのなかにいたよ かあさんのこえがきこえていたよ はやくかあさんにあいたくてでてきたよ

と言うのです。調子に乗って「その前はどこにいたの?」と聞くと

とうさんのおちんちん

わたしと、おかあさんは、え!と顔を見合わせました。

じゃ、「その前は?」

もっとみる