創作は「個」が面白いか「集団」か
「面白い」という基準は人それぞれであっても、その個人の中では何が面白くてそうでないかという基準は存在する。それに応えるのが「作品」であり創作だ。創作物は人の手で作られる。作り手のセンス、努力、感性、その人となりが作品を完成へと導く。その過程は、それをしない人々に取ってみればまさに神業である。だからそれらに携わる人々は、その作品が面白ければ先生だ作者だ名監督だなんだと崇められることになる。
しかし、創作する人々は必ずしも「作者」と呼ばれるような存在ではないことがある。というよりも先に述べた先生も作者も監督も、往々にしてそのたった一人だけで創作するというわけではない。
つまり創作とは2つの種類がある。
それは個によるものと集団によるものだ。この両者の内、より面白い創作ができるのはどちらだろうか?
創作は自由である。だからそれはふとしたことで始められる。いつでもどこでも、その個人が思ったのならば、創作としてスタートし、作品として終わらせることができる。
それは時として面白い。その感性、センス、視点、人生、そういったものが反映された作品として、他者に興味深さや面白さを届けることが可能だ。
一方で集団は、個人の集まりである。そこにはやはり、それぞれの価値観や経験や人生がある。だからその手になる創作は、その様々な視点でこれでもかとこねくり回されることになるのだ。しかも作っている途中で、未完成のまま、関わる人々が多いほど、それはあらゆる角度から確かめられる。
そのようにして、集団的な創作は「正しく」「論理的に」完成することになるのだ。それもまた、面白さの1つの理由である。
基本的に個人ではそこまで精度は出せない。というよりも「正しさ」を求める作品であるのなら、個人でやる意味がない。個人の創作の面白さは、正しさではなく歪みや偏見にあるからだ。
結論として、創作は個人の手になる方が面白い。そこには予想外の驚きや、常識はずれ、誰も知らない境地というものがそのまま出てくることが多いからだ。しかし、集団の手になる創作は、突拍子のなさが抑えられているものの、安心感のある確実な面白さを提供できる(ルールや王道や常識に従った、商品としての安定供給)。
だから、この世がお金で回っている以上、集団による創作の方が理にかなっている。しかし面白さは、個人だ。集団による相互監視がなく、突き抜けられるからである。そのために個人の創作の力というのは、集団よりも勝っているはずだ。
創作に本当に向いているのは集団ではなく個人であり、集団はただ、それを確実にしたり届けやすくなったりするというわけである。
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