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誰でも点睛を欠くことなど、何度だって当たり前の人生で

 どんなものにでも見落としはあり、従ってどんなものにでも完璧は存在しない。画竜点睛を欠くという言葉が昔からあるけれど、1つ訂正するとすれば「画竜」でなくとも点睛を欠いてしまうのである。あらゆる人間や物事に対してそれは真実であって、どうあっても避けることはできない。
 人は完璧を求めるし、求めていなくとも、できればそれが良いと夢見るはずだ。なのに完璧とは妄想の中でしか生きられず、現実には絶対に顕現しない。それがゆえにまた、私たちは完全無欠を求め、どこかでやはり、点睛を見落とすのである。

 仕方がないから諦めろと言う話ではない。己と、そして他者と、人さらには社会、世界の不完全さを忘れるなということだ。
 いったいどこまで求めれば満足するのか?もしくは自らの失敗や不完全になんど落ち込めば気が済むのか?
 そもそも「ない」ものを求めたり、それが手に入らないからと落胆するのはあまりにも無駄である。長々とそうする時間がもったいない。だからそういうのはほどほどにして、未来を見る。その上で遠くを見すぎない。そんな視界など人間は持てないから。

 どんなものにでも見落としはある。描かれた絵はもう変えられない過去だ。ならば生きてきたその時間を思い、生きていくこの時間を思い、まさに生きることこそ人生の点睛を、ともすれば可能にするものである。

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