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流行るとは誰もが「知っている」ということを。

 流行りには「わかりやすさ」が大切だ。それがどういうものなのかがわからなければ、世間に流行るきっかけがない。誰も、それが何かわからないものに興味を示さない。と同時に、誰も「誰か他の人に共有できない」ものは、価値も魅力もないと思ってしまうからだ。
 それがわかりやすさの力である。でも、それだけではない。わかりやすいものが流行ることの仕組みは、人が理解しやすくそして紹介もしやすいということだけでない要素が含まれている。むしろその根本的な要因こそが、実際のところ、いつの時代も流行りを作ってきたと言えるだろう。

 それは「知っている」ことだ。わかりやすさどころではない。既知。既に慣れ、そして親しんでいること。それこそがわかりやすいものが流行ることの根源である。
 なぜわかりやすいと思えるのかは、既に知っているからだ。理解しなければならない要素が少なければそうであるほど、わかりやすいものになる。当然にあって、知ろうとせずとも良いものは「わかっている」のだ。
 例えば愛。例えば死。例えば空腹。例えば性。
 こういったものは、知られている。経験しているとかそうでないとかではない。人間の本能的な知識として蓄えられていて、私達はそこにアクセスしてそれを「わかる」ことができる。そういったものは、もはや理解という段階を飛び越えてわかりやすく、だからこそ紹介しやすく(紹介の必要すらない。その相手もわかっているのだから)、流行る。

 だから既知こそ流行りなのだ。あるいはむしろ、流行りとすら言わず「定着」かもしれない。それが究極的に行き着くところであり、生活に根ざすことが最終到達点ならば、既知こそが流行りにおける最大の要因にして武器となる。
 流行りにはわかりやすさが大切だ。だがそこがゴールではない。もしくはスタートではない。もっと根本的に、わかりやすさの裏にある「知っていること」こそが、流行りというものを大きく支えている。

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