見出し画像

仕事を”続けたくなる”理由

 楽しいからではない。稼げるからでもない。やりがいは少し違う。日々の忙しさが少ないこと、環境、人間関係、あるいは運…仕事を「続けたくなる」理由には、多くの議論が尽くされていて、しかし、様々な意見がとびかったまま結論を見ていない。
 強いて言うならばそれは「人それぞれ」であって、入社1日で辞めたくなる人もいるし、何年も勤め昇進していく人もいる。その理由など人生にしかない。他人から見れば、その人の事情などわかりようもないのだし、あるいは自分自身にだって、「自分がどうしてその仕事をやれるのか」ということを、面接対策くらいでしか掘り下げたりはしないだろう。そんなものに「当然」も「常識」も「答え」もない。あってはならない。

 でも、1つの基本的なこととして、仕事は「正当な対価」によって成り立っているのだということ。そしてそれは同じく、人の心もまたそうだということが言えるのである。
 仕事は人の心の健康によって前に進む。その心を支えるのは正当な対価だ。無論、何が正当なのかはその心によるから、一定的なものはない。そのため、確かに少しの掛け違いでその「正当性」は崩れ、仕事は続けられなくなってしまうこともある。
 とはいえ基本的には、正当な対価さえ払われていれば、人の心は仕事をやれる。どんな人でもだ。

 ただし繰り返しになるが、一度でもそのバランスが崩れてしまうと、たとえば、「正当な」がどんどんと大きくなってしまい辞めざるを得なくなってしまうとか、反対に払われるべき「対価」がどんどん小さくなって続けられなくなってしまうということが起こる。

 そして、対価とはお金のことではない。いや、お金のことではあるが、それだけではない。それは対価と認められる全てのもののことを指し、そしてある仕事に対して支払われるべき対価は同時に何種類でもありえる。
 それは人による。他人の優しさとか、余暇とかそれこそお金とか。なんでもいいが、個々人が認めた全ての対価が、それぞれの「正当な」分だけ支払われている限り、仕事は続けられるのである。そしてその正当な分というのは個人の中でもいつでも変化し、あるいは変化し続けている。
 最初はお金を求めていた人がだんだんと休みを欲するようになっていくとか、その反対とか。そういうふうにして、対価とは流動的で変幻自在である。それが理解されない時、仕事というのは続かないものになってしまうのである。

 ともあれ、仕事を「続けたくなる」理由とは、〇〇だけ、ではないのだ。それらは同時に求められ、しかもいつでも入れ替わり、優先度も日々変化する。
 人の心にかかわるのだから、当たり前なのである。何か「これだ」と決められるはずがないし、決め手はならない。でも、続けるための基本とは「正当な対価」だ。それを自分のものでも、他人のものでも、キャッチアップすること、できること、していくことこそ、この社会になくてはならない「仕事」というものが続けられていくために大切なことである。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?