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自分を肯定する→責任を持てる人となる

 責任感は大切だ。それはこの世の中を、きちんと自分事と捉える人間を生み出す。つまり様々な出来事が起こる中で、その良いところも悪いところもきちんと自分のこととして真剣になり、過程や結果を分析できる人である。
 それは、未来に繋がる。事なかれや先延ばしではない、私達自身のための私達なのである。

 だが、責任感というのはただそれを持てと言うだけで持てるものではない。きっと誰もがそれはわかっている。ならば責任感を育てるにはどうすればいいのか?
 それは、自分を肯定することである。自分を肯定できるような精神を形作ることである。すると、以下のような効果を得ることができる。

①     自分のやることを自覚できる
②     自覚は理由や過程をはっきりさせる
③     はっきりすると自分のものだと実感がわく

 このような過程を経て、私達はある物事に関わっているという自分自身をしっかり認識し、その行く末についての責任感を覚えるのだ。つまり、関わっている物事の方向性を、自分自身が担っているのだという自覚を持つということである。
 自分の肯定(即ち、行動の承認)を経て、私達はきちんとした責任感を持てる。それは反対に、自分自身の行動が、どうしてなのか、どうやってなのか、どういう過程を経ているのかなどが曖昧な場合、そこに責任感は生じにくいということになる。
 実際のところ、自分がやっている行為についてそんなに曖昧であることはありえないと思われがちだが、大の大人でも、組織やコミュニティに所属していると特に、それはふわっとしてしまう。なんとなく行動しているということになる。
 それが、責任感への重大な棄損になる。つまり、自分の行動に自分がないように思うことが、責任の放棄に繋がるのだ。あるいは、そもそも責任を意識すらしないことに繋がる。

 それは本当に良くないことである。自分自身が含まれているはずなのに、それが自分とは別のことのように思ってしまうのは、自分のためにならないし、他者に迷惑をかける。にもかかわらず、責任逃れや事なかれ主義は当然のようにこの世に跋扈する。それは、単にその方が楽だからと言われるが、何よりも原因となっているのは、自分のことを肯定できないからである。

 まず、自己肯定ありきだ。そして、自身の持つ色々な関わりをはっきりと自覚する。何をしているのか、どうしてそれをしているのかなどを、自分の言葉として持つ。自分事として捉える
 そうすることで、私達は無責任でなくなることができるはずだ。それが人間として、当然に必要な態度である。

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