反省する機会のない猪突盲信な私達
反省とは、自分のした行いを振り返って、分析して、次の行動に活かすことだ。反省した場合に、人間はその生き方を改善するチャンスを得られることになる。生き方を改善する、そうし続けることができれば、その人は今よりももっと幸福な人生を歩むことができるだろう。
しかし、私達はもう、反省することがとても難しい。
様々な人と繋がることのできるグローバルな社会になり、インターネットを通じた社会が形成され、情報化により言語・思想・流行・政治・文化・経済……様々な事象が目まぐるしく変化してしまうからだ。
そんな1秒先がもうどうなるかわからないような日々の中で、反省する時間などもうない。過去を分析して千木に活かそうとする間に、昨日から繋がっているはずの明日は、もうずっと遠いところに行ってしまうからだ。
また、私達の興味関心が、もはや反省という行為に向かなくなったことも理由である。
それよりも、盛り上がり続けるお祭り、加熱し続ける争い、進化し続ける流行に同調していくことの方が大事だからだ。そうでなければ私たちはもう、この人生をやっていけないところまで来ている。かつて、反省(そしてそれをする時間を持っていること)によって改善されてきた私達の人生は、社会は様変わりしてしまったのである。
既に過去の事例はたくさんあって、それを知ることも容易になった現代において、反省における「過去を振り返る」は重要視されなくなってきた。顧みることなく、私たちは前へ前へと進み続ける。それだけの理由と目標が、常に更新され続けるからだ。
変化は止まらない。だから、反省もみられない。
私たちは今、ただ猪突猛進している。盲目的に。盲信的に。
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