小林悠

川崎フロンターレ 背番号11ポジションFWよろしくお願いします。

小林悠

川崎フロンターレ 背番号11ポジションFWよろしくお願いします。

記事一覧

大学サッカー(完結編)

大学4年になった5月の時点で、僕は早々にフロンターレへと加入することが決まっていた。 確か、この年のプロ第1号だった記憶がある。 他のチームからのオファーもあった…

小林悠
4年前
417

大学サッカー(後編)

大学2年でベストイレブンに入ることができたが、得点王はあと一歩の所で獲れなかった。 この時から自分の中での練習の意識が格段に変わった。 自分のゴール一つでチームを…

小林悠
4年前
202

大学サッカー(バイト編)

フロンターレのチームメイトにこの話をすると、かなり驚かれることが多いのだが、僕は大学1年生から4年生まで、地元の駅前にある居酒屋でバイトをしていた。 プロになっ…

小林悠
4年前
569

大学サッカー(中編)

関東1.2年選抜のセレクションに受かった僕は、そのメンバーの一員として韓国遠征に行くことになった。 この遠征で感じたのは、やはり関東1部リーグと2部リーグでは、す…

小林悠
4年前
219

大学サッカー(番外編)

僕がこれから綴ることは、僕が今の妻と出会う奇跡みたいな話だ。 今回は、しばし、僕ののろけ話に付き合ってもらえたらと思う。 拓殖大学に入学した1年目に関東2部リー…

小林悠
4年前
756

大学サッカー(前編)

拓殖大学に入学して、まず最初の練習で思ったことは、チャラチャラしている、だった(笑)。 今でこそ真面目な選手が増え、部活に対して真剣に取り組む選手が増えたみた…

小林悠
4年前
276

大学サッカー(進路編)

人には人生を大きく左右する少しの運だったり、選択を迫られる瞬間がある。 僕がいま、プロサッカー選手になれているのも、この選択がすべて良い方向に進んでいたからな…

小林悠
4年前
259

高校サッカー  完結編

高校最後の1年間は最上級生ということもあり、僕の人生の中で、とても濃い1年間になったと思う。   高校最後の大会で学んだこと。それは『慢心しない』ということだった。…

小林悠
4年前
233

高校サッカー 後編

  ついに全国高校サッカー選手権大会初戦の日がやってきた。 ところが、この日の予報は雪。朝からかなりの雪が降っていた。 試合が始まるときには雪は積もり、グラウン…

小林悠
4年前
213

高校サッカー 中編

 高校サッカーには大きな大会が3つある。  関東大会、インターハイ、そして全国選手権大会。  僕が高校2年生の時のサッカー部はタレントもかなり揃っており、全国大会を…

小林悠
4年前
249

高校サッカー前編

高校に入学した当初、僕の身長はまだ160センチあるかないかだった。 スピードもなく、筋肉もない。他の選手よりも少しだけ技術が高かったが、1年生から試合に絡めるような…

小林悠
4年前
275

挫折の中学3年間

 中学生になった僕は、小学生の頃に通っていた町田SSSからそのまま上に上がる形で、町田JFCというクラブチームに入った。  ただ、僕のサッカー人生の中で中学の3年間は…

小林悠
4年前
302

小学生

小学生の頃の僕はサッカーが大好きだった。 ただ、何をするにもサッカーという訳ではなく、休み時間には縄跳びや鬼ごっこ、ドッジボールも大好きだった。 家の中でゲー…

小林悠
4年前
294

幼少期〜家族の絆

過去に取材してもらった記事やネットの情報で、すでに知っている方もいるかもしれないが、僕は小さい頃(2歳くらい)に両親が離婚している。 なので2歳から8歳まで母親と1…

小林悠
4年前
330

はじめに

このnoteをやるきっかけになったのはフロンターレのチームメイトでもあり、弟みたいな存在である長谷川竜也選手からnoteをすすめられたのがきっかけでした。 竜也が自分の…

小林悠
4年前
317
大学サッカー(完結編)

大学サッカー(完結編)

大学4年になった5月の時点で、僕は早々にフロンターレへと加入することが決まっていた。

確か、この年のプロ第1号だった記憶がある。

他のチームからのオファーもあったが、フロンターレのキャンプに参加した時に、チームの雰囲気やレベルの高さを感じて、もうここに決めようと思った。だから、他のチームの練習には参加せず、フロンターレでプレーすることを決めたのを覚えている。

プロという大学での最終目標をクリ

もっとみる
大学サッカー(後編)

大学サッカー(後編)

大学2年でベストイレブンに入ることができたが、得点王はあと一歩の所で獲れなかった。
この時から自分の中での練習の意識が格段に変わった。
自分のゴール一つでチームを勝たせることもできるし、負けさせてしまうかもしれない。

自分が得点王を獲る=1部昇格なんじゃないかと思い始めていた。

この意識改革によって練習や練習試合での1本1本のシュートの重みを感じるようになった。 どれだけ良いプレーをしていても

もっとみる
大学サッカー(バイト編)

大学サッカー(バイト編)

フロンターレのチームメイトにこの話をすると、かなり驚かれることが多いのだが、僕は大学1年生から4年生まで、地元の駅前にある居酒屋でバイトをしていた。
プロになった選手たちにバイトの話を聞くと、日雇いのバイトをしたことがあるという選手は何人かいたけど、大学時代の丸々4年間、バイトをしていたという選手は、僕がフロンターレに在籍した11年間で多分1人もいない。

もともと拓殖大学サッカー部は朝練だっ

もっとみる
大学サッカー(中編)

大学サッカー(中編)

関東1.2年選抜のセレクションに受かった僕は、そのメンバーの一員として韓国遠征に行くことになった。

この遠征で感じたのは、やはり関東1部リーグと2部リーグでは、すごく実力に差があるということだった。
僕を含め、この遠征メンバーの中に、2部リーグでプレーしている選手は、確か3人くらいしかいなかったように思う。
個人としての力の差もそうだが、プロのスカウトの見る目だったり、注目度も違うなと感じた

もっとみる
大学サッカー(番外編)

大学サッカー(番外編)

僕がこれから綴ることは、僕が今の妻と出会う奇跡みたいな話だ。

今回は、しばし、僕ののろけ話に付き合ってもらえたらと思う。

拓殖大学に入学した1年目に関東2部リーグの新人賞を受賞した僕は、関東1、2年選抜のセレクションを受けることになった。
そしてセレクション当日、僕はセレクション会場の大学に向かうため、普段は全く乗ることのない田園都市線の電車に乗っていた。
そして、そこの同じ車両にたまたま

もっとみる
大学サッカー(前編)

大学サッカー(前編)

拓殖大学に入学して、まず最初の練習で思ったことは、チャラチャラしている、だった(笑)。

今でこそ真面目な選手が増え、部活に対して真剣に取り組む選手が増えたみたいだけど、僕が入った当時の拓殖大学サッカー部は、正直に言って真剣にサッカーと向き合うような集団とは言えなかった。

「とんでもないところに来てしまったな」とさえ思ったくらいだ。

それはそうだ。
自分で言うのはちょっとおこがまし

もっとみる
大学サッカー(進路編)

大学サッカー(進路編)

人には人生を大きく左右する少しの運だったり、選択を迫られる瞬間がある。

僕がいま、プロサッカー選手になれているのも、この選択がすべて良い方向に進んでいたからなのかもしれない。

だからと言って別にプロサッカー選手になったことが成功だとは思わない。

僕はもともとポジティブな性格なので、おそらくプロサッカー選手になっていなかったとしても、幸せに暮らしているだろうと思う。

もしも僕

もっとみる

高校サッカー  完結編

高校最後の1年間は最上級生ということもあり、僕の人生の中で、とても濃い1年間になったと思う。
 
高校最後の大会で学んだこと。それは『慢心しない』ということだった。

人は失敗をして成長するというけど、僕たちはまだ若かったこともあり、1番失敗してはいけないときに、その失敗をしてしまった。

僕たちは最上学年になり、関東大会に出場。インターハイでも神奈川県勢としてベスト4という成績を残した。

もっとみる

高校サッカー 後編

 
ついに全国高校サッカー選手権大会初戦の日がやってきた。

ところが、この日の予報は雪。朝からかなりの雪が降っていた。
試合が始まるときには雪は積もり、グラウンドは真っ白。そのため、ボールも転がらない。

僕たち麻布大学付属高校のサッカーは、ボールを大事につなぐ、見ている人もやっている人も楽しめるようなサッカーだった。

それがピッチに積もった雪のせいで、自分達の力を少しも出せないまま、刻々

もっとみる

高校サッカー 中編

 高校サッカーには大きな大会が3つある。
 関東大会、インターハイ、そして全国選手権大会。
 僕が高校2年生の時のサッカー部はタレントもかなり揃っており、全国大会を本気で目指せるメンバーだったと思う。
 当時、神奈川は2強と言われていた。その2つは桐光学園と桐蔭学園。その2強を崩すのがその頃の僕たちの1番の目標だった。
 厳しい練習に耐え、レベルアップしていった僕たちでもなかなかその2強を崩せるま

もっとみる

高校サッカー前編

高校に入学した当初、僕の身長はまだ160センチあるかないかだった。

スピードもなく、筋肉もない。他の選手よりも少しだけ技術が高かったが、1年生から試合に絡めるような選手では全くなかった。

部員は1年〜3年で70人〜80人くらいいただろうか。そんな中、1年からトップチームに上がる選手が何人かいた。

 
その中の1人が今、名古屋グランパスエイトにいる太田宏介だ。宏介とは小学生の頃から町田の選抜や

もっとみる

挫折の中学3年間

 中学生になった僕は、小学生の頃に通っていた町田SSSからそのまま上に上がる形で、町田JFCというクラブチームに入った。

 ただ、僕のサッカー人生の中で中学の3年間は、1番努力をしなかった時期だったように思う。
 小学生までの自分が嘘だったかのように何も残せない3年間だった。いま、プロサッカー選手を目指している子ども達や、その親子さんがこのnoteを読んでくれているならぜひ聞いてほしい。

もっとみる

小学生

小学生の頃の僕はサッカーが大好きだった。

ただ、何をするにもサッカーという訳ではなく、休み時間には縄跳びや鬼ごっこ、ドッジボールも大好きだった。

家の中でゲームをするのも好きで、よく兄とサッカーゲームや格闘ゲームで対戦していた。

そのなかで共通して言えるのは、とにかく負けず嫌いだったこと。

ゲームも負ければ泣き、勝つまでやった。

兄がこのままだと一生終わらないと思ったのか、わざと

もっとみる

幼少期〜家族の絆

過去に取材してもらった記事やネットの情報で、すでに知っている方もいるかもしれないが、僕は小さい頃(2歳くらい)に両親が離婚している。

なので2歳から8歳まで母親と1歳上の兄と3人で暮らしてきた。

お正月に毎年家族で集まるときに、今となっては笑い話にできているが、僕の家はかなりの貧乏だった。

母が女手一つで頑張ってくれていたとはいえ、とても楽な暮らしとは言えなかった。

保育園の年長か

もっとみる

はじめに

このnoteをやるきっかけになったのはフロンターレのチームメイトでもあり、弟みたいな存在である長谷川竜也選手からnoteをすすめられたのがきっかけでした。

竜也が自分の幼少期から大人になるまで、どのようにしてプロサッカー選手になったのか、どんな努力をしてきたのか。
それを1人でも多くの人に伝えたいと言っていたのを聞いて

それなら僕にも伝えるられることがあるんじゃないかと思い、このnoteを始め

もっとみる