小学生

小学生の頃の僕はサッカーが大好きだった。

ただ、何をするにもサッカーという訳ではなく、休み時間には縄跳びや鬼ごっこ、ドッジボールも大好きだった。

家の中でゲームをするのも好きで、よく兄とサッカーゲームや格闘ゲームで対戦していた。

そのなかで共通して言えるのは、とにかく負けず嫌いだったこと。

ゲームも負ければ泣き、勝つまでやった。

兄がこのままだと一生終わらないと思ったのか、わざと負けることもあったそうだ。

なぜこれほどまでに負けず嫌いの性格になったのかは僕にもわからない。

きっと生まれた時から兄がいた。ということが大きかったんじゃないかと思う。

兄がやれることは自分もやりたい。兄と同じようにできないと悔しい。

とにかく兄には負けたくないという気持ちが強かった。

だからきっと、僕が負けず嫌いになったのは、兄という身近なライバルがいたからこそ芽生えた自我だったんだろう。

僕がサッカーを始めたクラブチームの町田SSSは、元日本代表の北澤豪さんを輩出したクラブで、足元の技術やテクニックを重視していた。

この頃に僕が1番たくさんした練習がリフティングだった。

毎朝6時に起きて近くの公園にボールを持っていき、1時間ひたすらリフティングをやり続けた。

今の子供達はどうかわからないが、僕たちが小学生くらいの時はリフティングがうまい=サッカーがうまいだった。

僕のクラブにはリフティングがとてつもなくうまい選手がいて、僕はリフティングに関してはいつも2番だった。

SSSは毎年初蹴りでリフティング大会というのがあって、6年生の小学生最後のリフティング大会で僕はいつも負けていたライバルにどうしても勝ちたかった。

だから毎日、毎日リフティングの練習に励んだ。

そして本番。

これだけは未だに忘れられない。

僕はこのリフティング大会でほどけた靴紐に足をひっかけて946回で終わった。

きっと今の時代のサッカー少年はもっとできるんじゃないかと思うけど、当時は946回でもかなりすごい方だった。

それでも僕よりリフティングがうまいライバルは5000回を超えるリフティングをやってのけた。
僕は靴紐に引っかかってボールを落としたことが悔しくて悔しくて、その時も泣いていた。

もちろん靴紐に引っかからなくても5000回なんてできなかったと思う。

だけど負けたことがとにかく悔しくて、この時の僕は、努力を重ねた日々が意味のなかったことのように思えてしまい、また泣いた。

それでもまた次の日になれば朝早く起きてリフティングをしていた。

きっと子供ながらにして負けたまま終わるのが絶対に嫌だったんだと思う。

それは今のサッカーに対する姿勢と全く変わっていない。


こうして自分でも努力を重ね、負けず嫌いの性格も手伝って、僕はメキメキと力をつけて行き、東京選抜や関東選抜にまで選ばれる選手になった。

この当時は実績もあったし、周りよりも自分がうまいという自覚があったからプロサッカー選手になれるという自信があった。

僕の家族も周りのみんなもきっとそう思っていたと思う。

この後にたくさんの挫折を味わうことも知らずに。