小林悠

川崎フロンターレ 背番号11ポジションFWよろしくお願いします。

小林悠

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最近の記事

大学サッカー(完結編)

大学4年になった5月の時点で、僕は早々にフロンターレへと加入することが決まっていた。 確か、この年のプロ第1号だった記憶がある。 他のチームからのオファーもあったが、フロンターレのキャンプに参加した時に、チームの雰囲気やレベルの高さを感じて、もうここに決めようと思った。だから、他のチームの練習には参加せず、フロンターレでプレーすることを決めたのを覚えている。 プロという大学での最終目標をクリアした僕は、いつしか〝ユニバーシアード大会”に出場するという、新たなる目標を持つ

    • 大学サッカー(後編)

      大学2年でベストイレブンに入ることができたが、得点王はあと一歩の所で獲れなかった。 この時から自分の中での練習の意識が格段に変わった。 自分のゴール一つでチームを勝たせることもできるし、負けさせてしまうかもしれない。 自分が得点王を獲る=1部昇格なんじゃないかと思い始めていた。 この意識改革によって練習や練習試合での1本1本のシュートの重みを感じるようになった。 どれだけ良いプレーをしていても、ゴールを決められなければ意味がない。 そう思うようになっていた。 このプレッシ

      • 大学サッカー(バイト編)

        フロンターレのチームメイトにこの話をすると、かなり驚かれることが多いのだが、僕は大学1年生から4年生まで、地元の駅前にある居酒屋でバイトをしていた。 プロになった選手たちにバイトの話を聞くと、日雇いのバイトをしたことがあるという選手は何人かいたけど、大学時代の丸々4年間、バイトをしていたという選手は、僕がフロンターレに在籍した11年間で多分1人もいない。 もともと拓殖大学サッカー部は朝練だったこともあり、午後の余った時間で自分の小遣いを稼いでいた。 今ではこうやってプロ

        • 大学サッカー(中編)

          関東1.2年選抜のセレクションに受かった僕は、そのメンバーの一員として韓国遠征に行くことになった。 この遠征で感じたのは、やはり関東1部リーグと2部リーグでは、すごく実力に差があるということだった。 僕を含め、この遠征メンバーの中に、2部リーグでプレーしている選手は、確か3人くらいしかいなかったように思う。 個人としての力の差もそうだが、プロのスカウトの見る目だったり、注目度も違うなと感じた。遠征中には、1部に所属していた明治大学のある選手が、名古屋グランパスからオファ

        大学サッカー(完結編)

          大学サッカー(番外編)

          僕がこれから綴ることは、僕が今の妻と出会う奇跡みたいな話だ。 今回は、しばし、僕ののろけ話に付き合ってもらえたらと思う。 拓殖大学に入学した1年目に関東2部リーグの新人賞を受賞した僕は、関東1、2年選抜のセレクションを受けることになった。 そしてセレクション当日、僕はセレクション会場の大学に向かうため、普段は全く乗ることのない田園都市線の電車に乗っていた。 そして、そこの同じ車両にたまたまいたのが、大学に向かう登校中の妻だった。 当時19歳だった妻の友達が、渕野辺高

          大学サッカー(番外編)

          大学サッカー(前編)

          拓殖大学に入学して、まず最初の練習で思ったことは、チャラチャラしている、だった(笑)。 今でこそ真面目な選手が増え、部活に対して真剣に取り組む選手が増えたみたいだけど、僕が入った当時の拓殖大学サッカー部は、正直に言って真剣にサッカーと向き合うような集団とは言えなかった。 「とんでもないところに来てしまったな」とさえ思ったくらいだ。 それはそうだ。 自分で言うのはちょっとおこがましいけど、高校サッカーであれだけ真面目にやっていた僕からしたら、フワっとした練習の

          大学サッカー(前編)

          大学サッカー(進路編)

          人には人生を大きく左右する少しの運だったり、選択を迫られる瞬間がある。 僕がいま、プロサッカー選手になれているのも、この選択がすべて良い方向に進んでいたからなのかもしれない。 だからと言って別にプロサッカー選手になったことが成功だとは思わない。 僕はもともとポジティブな性格なので、おそらくプロサッカー選手になっていなかったとしても、幸せに暮らしているだろうと思う。 もしも僕がフロンターレのユースのセレクションに受かっていたら、僕はプロサッカー選手になれ

          大学サッカー(進路編)

          高校サッカー  完結編

          高校最後の1年間は最上級生ということもあり、僕の人生の中で、とても濃い1年間になったと思う。   高校最後の大会で学んだこと。それは『慢心しない』ということだった。 人は失敗をして成長するというけど、僕たちはまだ若かったこともあり、1番失敗してはいけないときに、その失敗をしてしまった。 僕たちは最上学年になり、関東大会に出場。インターハイでも神奈川県勢としてベスト4という成績を残した。周囲が期待していた通りの活躍を見せたのだ。 そして迎えた高校生最後の大会。

          高校サッカー  完結編

          高校サッカー 後編

            ついに全国高校サッカー選手権大会初戦の日がやってきた。 ところが、この日の予報は雪。朝からかなりの雪が降っていた。 試合が始まるときには雪は積もり、グラウンドは真っ白。そのため、ボールも転がらない。 僕たち麻布大学付属高校のサッカーは、ボールを大事につなぐ、見ている人もやっている人も楽しめるようなサッカーだった。 それがピッチに積もった雪のせいで、自分達の力を少しも出せないまま、刻々と時間だけが過ぎていく。 もちろん条件は相手チームも同じ。言い訳でしかないとい

          高校サッカー 後編

          高校サッカー 中編

           高校サッカーには大きな大会が3つある。  関東大会、インターハイ、そして全国選手権大会。  僕が高校2年生の時のサッカー部はタレントもかなり揃っており、全国大会を本気で目指せるメンバーだったと思う。  当時、神奈川は2強と言われていた。その2つは桐光学園と桐蔭学園。その2強を崩すのがその頃の僕たちの1番の目標だった。  厳しい練習に耐え、レベルアップしていった僕たちでもなかなかその2強を崩せるまでにはいかなかった。関東大会もインターハイも、いずれも桐光学園に敗れて敗退。そし

          高校サッカー 中編

          高校サッカー前編

          高校に入学した当初、僕の身長はまだ160センチあるかないかだった。 スピードもなく、筋肉もない。他の選手よりも少しだけ技術が高かったが、1年生から試合に絡めるような選手では全くなかった。 部員は1年〜3年で70人〜80人くらいいただろうか。そんな中、1年からトップチームに上がる選手が何人かいた。   その中の1人が今、名古屋グランパスエイトにいる太田宏介だ。宏介とは小学生の頃から町田の選抜や東京選抜、関東選抜と共に選ばれてきた仲間であり、ライバルでもあった。   宏介

          高校サッカー前編

          挫折の中学3年間

           中学生になった僕は、小学生の頃に通っていた町田SSSからそのまま上に上がる形で、町田JFCというクラブチームに入った。  ただ、僕のサッカー人生の中で中学の3年間は、1番努力をしなかった時期だったように思う。  小学生までの自分が嘘だったかのように何も残せない3年間だった。いま、プロサッカー選手を目指している子ども達や、その親子さんがこのnoteを読んでくれているならぜひ聞いてほしい。  プロサッカー選手になっている人のみんながみんな、順風満帆な人生なんて送っていな

          挫折の中学3年間

          小学生

          小学生の頃の僕はサッカーが大好きだった。 ただ、何をするにもサッカーという訳ではなく、休み時間には縄跳びや鬼ごっこ、ドッジボールも大好きだった。 家の中でゲームをするのも好きで、よく兄とサッカーゲームや格闘ゲームで対戦していた。 そのなかで共通して言えるのは、とにかく負けず嫌いだったこと。 ゲームも負ければ泣き、勝つまでやった。 兄がこのままだと一生終わらないと思ったのか、わざと負けることもあったそうだ。 なぜこれほどまでに負けず嫌いの性格になったのかは僕

          小学生

          幼少期〜家族の絆

          過去に取材してもらった記事やネットの情報で、すでに知っている方もいるかもしれないが、僕は小さい頃(2歳くらい)に両親が離婚している。 なので2歳から8歳まで母親と1歳上の兄と3人で暮らしてきた。 お正月に毎年家族で集まるときに、今となっては笑い話にできているが、僕の家はかなりの貧乏だった。 母が女手一つで頑張ってくれていたとはいえ、とても楽な暮らしとは言えなかった。 保育園の年長からサッカーを始めた僕は、ただボールを追っかけて、走り回るのが大好きな子どもだった

          幼少期〜家族の絆

          はじめに

          このnoteをやるきっかけになったのはフロンターレのチームメイトでもあり、弟みたいな存在である長谷川竜也選手からnoteをすすめられたのがきっかけでした。 竜也が自分の幼少期から大人になるまで、どのようにしてプロサッカー選手になったのか、どんな努力をしてきたのか。 それを1人でも多くの人に伝えたいと言っていたのを聞いて それなら僕にも伝えるられることがあるんじゃないかと思い、このnoteを始めることにしました。 自分で言うのも変ですが、僕の人生は“とても面白い人生”だと

          はじめに