見出し画像

大学サッカー(完結編)

大学4年になった5月の時点で、僕は早々にフロンターレへと加入することが決まっていた。

確か、この年のプロ第1号だった記憶がある。

他のチームからのオファーもあったが、フロンターレのキャンプに参加した時に、チームの雰囲気やレベルの高さを感じて、もうここに決めようと思った。だから、他のチームの練習には参加せず、フロンターレでプレーすることを決めたのを覚えている。

プロという大学での最終目標をクリアした僕は、いつしか〝ユニバーシアード大会”に出場するという、新たなる目標を持つようになっていた。大学でもサッカーをやってきたけど、自分はずっと関東2部リーグだった。だから、最初はもちろん、こんなにも大きな目標を持つことはなかったが、プロになることが決まり、ユニバーシアードに出場することが大学サッカーでの1番の目標になったのだ。

4年生になり、これまでにいろいろな選抜にも選ばれていたから、以前はどこか遠い目標だったものが、少しずつ現実味を帯びていった。

そしてユニバーシアード大会に向けた強化合宿が、オーストラリアのブリスベンで行われた。僕もこの遠征メンバーに帯同していて、ここでのアピールが、そのままユニバーシアードのメンバー選考に直結すると思っていた。

そんな中で不運なことが起こった。

遠征が終わる2日前くらいの練習の紅白戦で、僕がドリブルで相手を交わした後、相手の足が引っかかってしまった。倒れた衝撃とともに僕は痛みでうずくまった。正直、かなりの痛みがあった。自分でも、すぐに、これはもうダメなやつだなというのがわかった。
部屋に戻って1人になったときには、悔しくて涙が止まらなかった。

日本に帰り、そのまま病院へ直行すると診断を受けた。診断結果は第五中足骨骨折。全治3ヶ月。

結果を聞いた僕は、病院の待合室で人目を憚らずに泣いた。あと数日後には、ずっと目標にしていたユニバーシアード大会を控えていた。ここまで、それを1番の目標にやってきたのに、その目標が目の前で泡のように消えた。

そして、これが僕にとって人生初めての手術だった。いろいろと不安もあったが、周りの人の支えもあり手術は無事に成功した。リハビリも順調に進み、3ヶ月が経った。

そして復帰してから迎えた初めての公式戦。これからは、拓殖大学を関東1部リーグに昇格させる。それだけが僕の大学生活に残された目標というよりも、使命だった。そんな中でまた不幸が起きた。復帰した公式戦で、相手を背負ってターンをしようとしたその時、膝だけが体の向きと違う方向に残ってしまったのだ。

『ブチッ』……。

一瞬、何が起きたかわからなかった。膝が外れたような感覚があった。直後、今までに感じたことのない痛みが走り、僕はグランドにうずくまった。

そのまま病院へ。診断結果は右膝前十字靱帯断裂。この怪我は運が良ければ前十字靱帯が切れるだけだが、運が悪いと内側側副靭帯と内側半月板損傷も一緒に負傷してしまう。
前十字靭帯の断裂だけでも、ただでさえ大きな怪我なのに、3つの不幸が重なることを「unhappy triad」と言うらしい。

僕はこれにプラスして、膝の骨を剥離骨折もしていた。だから、まずは剥離骨折の手術をし、その1ヶ月後に前十字靭帯の再建手術をすることになった。

何もかもが終わったような気がした。

ユニバーシアードにいけなくなって、全治3ヶ月の怪我を負った。やっと復帰した試合で、今度は全治6〜8ヶ月もの怪我をしてしまったのだ。

この時にまず最初に思ったのが、「フロンターレは大丈夫なのだろうか?」ということだった。

こんな大怪我を負った自分を受け入れてくれるのかということだった。

すぐにスカウトの向島さんに電話をした。負ってしまった怪我の説明と復帰までの時間を説明した。

それでも向島さんは『大丈夫。焦らなくていいから、しっかりと怪我を治してください』と言ってくれた。

そして、手術をする病院も医師もフロンターレが紹介してくれた。

こういったこともあり、僕はフロンターレに入団する前から恩恵を感じている。
フロンターレで活躍して必ずこの恩を返す。そう思って入団したことを今でも良く覚えている。

そして、この人生のドン底のような時に、いつも側で支えてくれたのが、当時の彼女であり今の妻である。
妻は大学が終わるのが遅くなって、お見舞いの時間が15分しか会えない時でも、僕が入院していた3週間もの間、1日も欠かさず、お見舞いに来てくれた。

この時に僕は思った。この人と結婚しようと。

こういったいろいろな辛いことを乗り越えて、今の小林悠はできている。

このあと、プロになってからもたくさんの怪我や、たくさんの挫折を味わってきた。

それでもなぜか僕は、いつも最後はうまくいくと思っている。

どんなに辛いことがあっても最後に笑っているのは自分だと信じている。

そして、これからもそれは変わらない。

周りの人への感謝を忘れずに、自分らしく前向きに生きて行きたいと思う。

新型コロナウイルス感染症の影響で、今までよりも自分に時間ができ、少しでも僕を知ってもらえたらと思った。また、子どもたちや夢を持っている人たちの力になれたらと思い、このnoteをはじめました。

これからはシーズンが再開して、今までのようにnoteを更新することが難しくなると思うけど、また何か綴りたくなったときは、このnoteを開きたいと思う。

ここまで長い文を読んでくれてありがとうございました。

今年もたくさんのゴールでみんなに元気を与えられるように頑張ります!