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大学サッカー(前編)

拓殖大学に入学して、まず最初の練習で思ったことは、チャラチャラしている、だった(笑)。

今でこそ真面目な選手が増え、部活に対して真剣に取り組む選手が増えたみたいだけど、僕が入った当時の拓殖大学サッカー部は、正直に言って真剣にサッカーと向き合うような集団とは言えなかった。

「とんでもないところに来てしまったな」とさえ思ったくらいだ。

それはそうだ。
自分で言うのはちょっとおこがましいけど、高校サッカーであれだけ真面目にやっていた僕からしたら、フワっとした練習の雰囲気には、正直、耐えられなかった。

それでも1年生の僕が先輩たちに文句なんて言えるわけもなく、最初の1ヶ月間くらいが過ぎた。
練習の中で自分の良いプレーを出す機会が増えていった頃、法政大学との練習試合で監督に『FWをやってみないか?』と言われた。これまでずっとMFをやっていたから、自分の性格を考えると、普通なら「ちょっと嫌だな」とか、「なんで?」と思いそうだが、このときの僕は違った。なぜかすんなりとFWを受け入れたのだ。

そして、この法政大学との練習試合が自分のサッカー選手としてターニングポイントになった。

今までやっていたMFとは全く違う景色がそこにはあったからだ。

まず、ボールをもらう前の駆け引きがひとつあった。
チームメイトからボールを受けるときに、僕にマークについていた相手DFが、僕の足下に来るボールに食いつきそうになった。
その瞬間、僕はくるりと反転すると、スペースに抜け出した。
チームメイトが僕の動きに合わせてパスを出す。
いや、パスを出すというよりも、出させた感覚。これにまず驚いた。
そして、その走り込んだスペースにボールが来る。GKと1対1。GKを交わすと僕はゴールを決めた。
そのときの感覚は今でもすごく覚えている。

新しい自分を見つけたような、視界が一気に開けたような、そんな感覚があった。

その練習試合から僕のポジションはFWになった。FW小林悠が誕生した日だった。

関東2部リーグが始まってからも僕は、1年生ながら試合に使ってもらえた。
自分の中でも少しずつFWとしての手応えを感じはじめていた。
それでも練習の雰囲気やチームの規律のなさなどには不満があった。

ある日の練習で、僕はちゃんとやらない3年生の先輩に対して練習中に文句を言った。
「おい!ちゃんとやれよ!」

これは、今、振り返っても、なかなかなことをしたな、と思う。
それでも言ったことに後悔はしていないし、間違っていたとも思わない。

ちょっと乱暴な言い方になってしまうけど、自分が1番イラついていたのは、ちゃんとやればかなりの能力があるのにもかかわらず、やらないヤツらだった。

これは大学サッカーあるあるだと思うが、本当に真面目にサッカーと向き合っていればプロになれる可能性のある選手はゴロゴロいる。
それでも大学にはいろいろな誘惑がある。
例えば、20歳を過ぎれば、お酒も飲めるようになるし、クラブやパチンコに行くヤツらもいた。これらのすべてが悪いとは言わないけど、サッカーと真剣に向き合わなくなる材料であることに間違いはなかった。

そんな、彼らの私生活を知っていたから、サッカーとちゃんと向き合わないヤツらを見て、僕はすごくイライラしたのだ。
自分がこの大学を選んでしまったせいと言われれば、それでおしまいかもしれないが、どうしてもそれでおしまいにはしたくなかった。
レベルの高い関東1部リーグで試合がしたかったからだ。
やるからには上を目指す。それが僕の拓殖大学での目標でもあった。

文句を言った先輩には、後で呼び出されて怒られたが、自分は間違っていないと思ったから、反省するふりをして、その場はしのいだ。

今も昔も普段は温厚そうに見られる僕だけど、自分自身が心底、正しいと思っているときには、自分自身を信じ抜く。
また、言わなければいけないときにははっきりとものを言うように心掛けてもいる。
それは、プロになってからも、30歳を過ぎた今も、変わることのない僕の信念でもある。

大学1年目はチームというよりも、とにかく個人のFWとしての引き出しを増やす作業に費やした。
まだチームに与える影響力が少なかったから、自分が何を言ってもチームを変えられない。
それならまずは自分のスキルアップや、チームの中での自分の存在感を大きくすることを心がけた。
1年生で試合に出ている選手が少ないこともあり、僕はこの年、関東2部リーグの新人賞を受賞した。
この賞を受賞できたのはかなり大きかった。

何が大きかったかというと、サッカーのことだけじゃなく、
この受賞がきっかけで今の奥さんと出会うことになるからだ。