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大学サッカー(番外編)

僕がこれから綴ることは、僕が今の妻と出会う奇跡みたいな話だ。

今回は、しばし、僕ののろけ話に付き合ってもらえたらと思う。

拓殖大学に入学した1年目に関東2部リーグの新人賞を受賞した僕は、関東1、2年選抜のセレクションを受けることになった。
そしてセレクション当日、僕はセレクション会場の大学に向かうため、普段は全く乗ることのない田園都市線の電車に乗っていた。
そして、そこの同じ車両にたまたまいたのが、大学に向かう登校中の妻だった。

当時19歳だった妻の友達が、渕野辺高校サッカー部の大ファンで、よく渕野辺高校サッカー部の話を妻にしていたらしい。妻は全くと言っていいほど興味がなかったのだが、友達からたくさん話を聞かされ、たくさん写真を見せてもらっているうちに、選手の顔を少しだけ覚えていたというのだ。

特に僕は、選手権の神奈川県予選の決勝戦でゴールを決めて、ヒーローインタビューを受けていたこともあって、顔を覚えていたらしい。
そのため妻が友達に『同じ車両に小林くんに似てる人がいるよ』とメールしたのだ。
これが、僕と妻が出会うきっかけだった。

少しわかりにくいかもれしれないけど、その妻の友達と僕の高校サッカー部の友達がつながっていて、その友人を介して、僕に連絡が来たのだ。
それだけでは、もちろん会うきっかけにはならず、この話題に食いついたのはもちろん僕の方……。
というのも、僕の高校サッカー部時代の友達が、『悠とたまたま電車で一緒になった女の子、かわいいよ』と教えてくれたのだ。
それで僕のほうから「紹介して!」という流れになったわけだ。

だから、僕が受けるセレクション会場が田園都市線の大学ではなく、僕がもしあの車両に乗っていなかったら、僕たちは出会っていなかったことになる。

しかも、付き合ってから聞いた話によると、妻はその日たまたまいつも乗る電車よりも、1本遅い電車に乗っていたらしい。

これが僕と妻が出会った奇跡のような話だ。

このときを境に僕らは連絡をとるようになり、何回かデートを重ね、告白し、かなり僕がゴリ押した結果、付き合えることになった。

それでも今こうやって結婚までして、幸せに暮らしているのだから、あのときに粘っておいてよかったなぁと、笑って話せる。

ちなみに妻は当時、僕が通っていた大学とは違う女子大に通っていて、国家資格である管理栄養士の資格を取得している。 

僕がプロサッカー選手として活躍できているのも間違いなく妻のサポートのおかげだ。
こうしたいろいろな奇跡ともいえる巡り合わせが、やっぱり今の僕を作っているんだなと感じる。

妻への感謝をしっかり返せるように、これからも向上心を持ってサッカーと向き合っていきたいと思う。