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 東京駅から新幹線とバスで2時間ちょっとの場所にある伊達郡川俣町。自然豊かな川俣での暮らしは、子どもたちにとっても大人にとっても、心身の成長と癒しをもたらします。川俣町の温かいコミュニティは、これまでとは異なる新しい絆を育み、日々の生活に彩りを加えます。子どもたちは自然の中で自由に走り回り、季節の変化を肌で感じながら成長していきます。
 今回は、一度川俣を離れて学生時代〜社会人の期間を過ごしながらも、川俣町へUターンし、生活の基盤を築いている齋藤貴広さんにお話を伺いながら、川俣町の魅力を探っていきたいと思います。(聞き手:川俣町移住・定住相談支援センター佐藤裕幸)


移住先としての川俣の魅力

佐藤裕幸(以下佐藤):齋藤さん、本日は宜しくお願いします。
齋藤貴広さん(以下齋藤):こちらこそ宜しくお願いします。
佐藤:まずは、突然なんですが、移住先としての川俣はどう見えていますか?
齋藤:ホント突然ですね…笑。もしかすると、どこでもあるあるかもしれませんが、やっぱり温かい人がたくさんいるので、移住してきた方でも快く受け入れてくれると思います。地域おこし協力隊の佐原くんっているじゃないですか?彼と最初に出会ったのもまちの居酒屋さんでしたが、めちゃくちゃまちの人と馴染んでいて、受け入れてもらっていましたよ。そして、佐原さんも「川俣の人たちって本当にあったかいんですよね」と言ってくれたんですよね。
佐藤:齋藤さん自身が感じていることを他の人、しかも地域おこし協力隊に参加されている方が言ってくれるのは大きいですよね。
齋藤:はい。それはやっぱり一番嬉しいですよね。他の人が言ってくれると自分と同じように感じているんだってなります。
結局、まち自体が小さいので、それこそみんな知り合いみたいなところはありますしね。とても親身になってくれます。他の土地から来た人たちにも、「よく川俣に来てくれた!」というウェルカム感はかなりあると思います。

様々なコミュニティの存在

佐藤:他に川俣町には何か魅力はありますか?
齋藤:結構いろんなコミュニティがあります。
佐藤:例えば、どんなものがありますか?
齋藤:今私が所属している商工会の青年部や消防団、若連みたいのがありますよ。
佐藤:それらは誰かから誘われて入ったのですか?
齋藤:半ば強引に(笑)というのもありましたが、商工会の青年部なんかは自分から入っちゃいました。「なかなか自分から入る人はいない」って言われましたが。
佐藤:なぜ入りたいと思っていたんですか?
齋藤:僕は、小学生の時にフェンシングを始めたんですが、社会人になってからだいぶ経って、ある時に福島のフェンシングの集まりがあったんです。その時に川俣の人口が減っていることが話題になって、それとともにフェンシングが徐々に衰退しているという話を聞いた時に、自分が協力することで、なんかもう一度勢いみたいなものを取り戻せるならという思いになりました。「俺の力でなんとかできないものか…」みたいな気持ちがいつの間にか生まれていました。
佐藤:フェンシングによって生まれた川俣への想いが、かなり強くあるんですね。
齋藤:僕はフェンシングで国体を経験したのですが、実際国体となると本当にまちの盛り上がり方がすごかったんですよ。これってどこでもあるあるかと思いますが、強い選手を県外から連れてきたりもする。そうやってどんどん盛り上がって国体を迎えるんですね。
佐藤:すごいパワーですね!
齋藤:本当にそうなんです。でも、それこそ国体終わった瞬間に、皆さんがいなくなったんです。周りもあっという間に熱が冷めてくる。こんなにも違うんだって…ただ、まだ小さい子どももジュニアでフェンシングやっているわけですよ。それなのに、フェンシングがフェードアウトしていくのも嫌だなぁと。そんなことを考えている中で、国体の時にもお世話になった川俣町のために何かできることはないかなと考えて商工会青年部に入りました。
佐藤:その想いはUターンの時にもありましたか?
齋藤:それはもちろんありました。大学の時にも気づいてはいたんですが、私自身大学生活でいっぱいいっぱいで…正直いうと川俣を出る時は、「もう川俣には戻ってこないかも…」と思いながら大学に行ったんですけどね。そして就職も川俣でしたわけでもなく…
ただ、帰省するたびに、フェンシングの練習を覗きに行くと、選手たちは頑張っていました。そういう姿を見ているうちに、なんかこのままでいいをはずがないと感じるようになっていました。
佐藤:なるほど。もう少し深掘りさせてもらうと、実際に仕事はしていたわけですから、仕事を手放しても川俣に戻ってくるのは、結構大きな決断ですよね。
齋藤:はい。それは確かにすごい悩みました。実際仕事がうまくいってなかったわけではなかったし。でもいろいろ話したり、実際に川俣を見ていたら、知り合いのやっている会社で、「じゃあうちでやってみない?」という話になり、それならフェンシングやりながらでも仕事もできると思い、決断しました。
佐藤:そうだったんですね。人のつながりで仕事も見つけられるというのもまた、川俣町の魅力である人の温かさかもしれませんね。では、その商工会青年部ではどのような活動をされていますか?
齋藤:自分たちのイベントの企画や運営もしていますが、まちの中で行われるイベントのお手伝いもしています。青年部の他のメンバーもみんな熱い思いを持っているので、まちのためになることは本当にお手伝いをしたがっています。だから、青年部に入ると伝えた時の歓迎ぶりはものすごかったです。
佐藤:ということは、川俣に移住してくる人たちも、商工会の青年部に入るとなれば大歓迎ということですか?
齋藤:いくつか条件はありますが、それはまちの人でも同じですし、その条件さえ問題なければ大歓迎だと思います。川俣をよくしたいと思う人を歓迎しない理由はないですから。
佐藤:他のコミュニティについてはどうでしょうか?
齋藤:消防団は、先輩から結構強い誘いもありましたが、Uターンしてきた僕のことを誘ってくれたことで、改めてまちの人とも交流できるようになりましたし。Uターンしてきた僕のことをしっかり受け止めてくれているなと実感しています。なんとなくですけれども、期待感もあるのかなと思っています。

川俣町の魅力を楽しそうに話す齋藤さん

改めて川俣町に想いを馳せる

佐藤:これから川俣町をどんなまちにしていきたいですか?
齋藤:私自身、小学校の時にしていたソフトボールもそうですし、フェンシングもそうなんですが、そういう競技を通じて関わった川俣の人たちが、本当にいろいろ面倒を見てもらっていました。川俣の人たちによって育ててもらったと思っています。そして、フェンシングで国体に出て、その実績で大学まで行くことができました。そう考えると本当に感謝しかないんです。
そもそも、フェンシングを川俣町にもたらしてくれたことが大きいわけです。当時はまだまだマイナーなスポーツだったので、練習も結構他県に行っていました。そうすると、他の地域との交流もできるようになるんです。そこで出会う人たちとの交流でさらに視野が広がる感じです。そういうお膳立てを子ども達のために喜んでやってくれたんですよ。
佐藤:それって、お父さんやお母さんからしたら、安心して川俣で子育てできるということにもつながりますね!

子どもを大切にできるまちにしたい

齋藤:今、高校1年生で、ジュニアの日本代表になっている子がいるのですが、そういう子がもっとたくさん生まれるようなまちにしたいというのは正直あります。実際、他県からも合宿にきてくれたりしていますし、私も含めて、フェンシングを通じて大学に進学したりできれば、それだけ子供達の将来も育めるまちになると思っています。
フェンシング以外にもハンドボールなんかもありますしね。
佐藤:確かに川俣町の良さを高校生ぐらいまでの間に、いろいろな形で触れておけば、仮に大学進学などで一度川俣を離れたとしても、何かのきっかけに「川俣に戻ってきたい!」という思いが生まれて、川俣にいる人も含めた形で、“居場所”としての川俣の価値は上がりますよね。
齋藤:本当にそうなんですよ。子どもたちにとって忘れられないというか、自分を出せるというか、そういう場所に川俣はなる可能性が高いと感じていいるんです。実際、私も大学を出て就職した後でも、こうやって川俣に戻ってきていますし、戻ってきた時に仲間がしっかりと受け入れてくれたので。

峠の森キャンプ場

夢を語れるまちにする

佐藤:本当にいろいろなことをお話していただいていますが、最後にこれだけは話しておきたいということは何かありますか?
齋藤:私の知り合いみんなキャンプするんですが、峠の森キャンプ場がすごく魅力的だと思っています。
佐藤:やっぱりそう思います?
齋藤:はい。やっぱり無料で使えるというのは大きいですよね。今はトイレなんかも新しくしていたりして、どんどん使いやすくしていますし。あのあたりは、夜になると本当に星が綺麗に見えるので、夜空の下でコーヒーなんかを飲みながら、キャンプしている人たちが語り合うだけでも十分イベント性があると思うんですよね。
佐藤:それホント気持ちよさそうですね。
齋藤:実際に川俣に来てもらわないとその良さはわからないところもあるので、私も含めてもっと川俣のアピールはしていきたいですね。そして、いろんな人がいろんなところで川俣についての夢を語れる場所にしていきたいです!
佐藤:アピールについては移住・定住相談支援センターももっとしっかりやっていくようにします!
齋藤:是非とも一緒に川俣町を盛り上げていきましょう!
佐藤:今日はわざわざお時間を作っていただき、ありがとうございました。

インタビューを終えて

 齋藤さんのように一度川俣を出て後、再び戻ってきたからこそわかる川俣町の魅力。それはまさにまちの人が、“居場所”になっているということです。この記事を読んでくださる皆さんにも、是非とも一度体験していただきたいと思っています。

  今回の記事はいかがでしたでしょうか?今後も川俣町にクラス人がどのような思いでまちを盛り上げようとしているかを取り上げ、川俣町移住後の「生活の楽しさ」をお伝えしていきたいと思います。この記事を見て、少しでも川俣町にご興味が生まれたようでしたら、是非とも一度、川俣町移住・定住相談支援センターまでお問い合わせください。

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