【#9】くりす就活辞めるってよ~農園にて③~
どうもくりすです。
このマガジンでは21卒大学生が就活から逃げた後の物語を記録しております。
よろしくお願いします。
前回↓
第1回(ストーリー仕立て)↓
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2020年7月13日、三週間の農業アルバイトを終えて帰ってきた。
時間がなく、なかなか更新はできなかったが、人に恵まれて良い時間を過ごせた。
メモをもとに振り返りたいと思う。
7月1日~13日の総括
時間なんてなかった。
13日間のうち11日仕事。
朝7時半に現場に到着し、ひたすらに雑草を抜く。
9時30分から15分の休憩をとり、また雑草を抜く。
12時からは1時間の昼休憩。
13時に作業を再開し、15時から再び15分間の休憩。
その後は17時まで雑草を抜く。
寮に帰るとまずはシャワーを浴びる。そして自由時間。
部屋にこもる人、リビングで酒盛りをする人、テレビを見ている人、様々だ。
食事は出ないので、各々が翌日の昼食を準備して寝る。
そんな毎日を繰り返していた。
今振り返っても、特別なことは無い退屈な日常。
それでも意欲さえあれば、脳みそが1つあれば、人は学べるのだ。
雑草をとりながら、食事をしながら、酒盛りに参加しながら。
考え事をして、耳をかっぽじって話を聞き、目を凝らして観察し、何かを得ようとした。
仕事の楽しみについて~7月1日~
初夏の日差しを浴びながら、決められた時間、作業に取り組む。
最初は新鮮だった「雑草取りという体験」もさすがに飽きがきている。
最初に感じていた「苦じゃない作業」は苦痛な作業へと変化していた。
しかし、苦痛なりにもやるメリットがあった。
休憩中に食べるお菓子や弁当は相も変わらず、大学生活で食べたどんな料理よりもおいしいのだ。
そして、寮に帰ってから、今日も頑張ったなと飲む酒は美味い。
楽しさを感じない作業を
「おいしく食べるために」「美味い酒を呑むために」行う。
言い換えると
「仕事の楽しみは捨てて、プライベートの時間を楽しむために仕事をする」
社会人にこういう人は一定数存在する気がする。これは幸せなのだろうか。
同じ寮のおじさんが以前言っていたことを思い出す。
「俺は人に頼られることを仕事のやりがいにしている。それがきついことでも人のためになるならやる。一生懸命働いた後の酒はうまい。そのために働いている。」と。
そう言って、グラスに残った酒を飲み干すおじさんには確かに充実感が漂っていた。
僕はどうだろう。どうしたいのだろう。
気遣い~7月4日~
人の温かさに触れる一日だった。
黒い服を着ていたのだが、「黒い服だと暑くないですか?熱中症、気を付けてくださいね」と一声。そして塩飴をいただいた。
そうした、ちょっとした気遣いが人の心に幸せを運ぶのだ。
こういう気遣いのできる人間になりたいと思った。
寮生活のルールとキーパー決めジャンケン~7月6日~
この寮では特にルールは決まっておらず、
①休みの日に掃除をする
②共用スペースの汚れや備品不足は気づいた人が取り組む
ということだけが決まっていた。
寮は共同生活だ。
全員が気持ちよく過ごせるように環境を整える必要がある。
この制度のルールにおいて、寮内最年少の僕は苦労している。
というのも、仕事でも人生でも先輩の方々は気遣いが行き届いているからだ。気づいたらごみはなくなっているし、備品が足りていない状態は見たことがないし、共用スペースはいつでもきれいだ。
きっと僕が知らない間に他の方々が気づいて対処しているに違いない。
意識していないと僕の出る幕がない。
「快適な環境に貢献すればするほど周りの人から信頼を集め、自分がもっと過ごしやすくなる。」
これは入寮にあたって、同寮者に教えてもらったこと。気遣いができる人は人の気遣いにも気づくのだ。
今日の僕は率先して仕事を探し、ごみ捨てに行った。
ごみ捨てから戻ると、気づいた同寮者何人かに「ありがとう」と声をかけられた。なんだか照れくさい。
どうやら私はこの制度があまり好きじゃないらしい。
そんな息苦しい相互監視よりも、「じゃんけん」という伝統芸があるじゃないか、と思ってしまう。
サッカーで誰がキーパーをするか決めるように、給食であまったゼリーを取り合うように。
明確なルールや適度な理不尽は息苦しいのではなく、全員を平等に扱うのだろうなあ。
気遣いはできるようになりたいが、恨みっこなしのジャンケンで物事を決められる「少年」からは卒業したくないと思った。
幸せは日常から拾うもの~7月7日~
今日は雑草を食べた。玉ねぎ畑に無限に生えている雑草だ。
本当は食べる気はなかった。
「スーパーに売っている美味しい野菜があるじゃないか。雑草を食べる意味がない」
それでも同寮者が調理してくれ、おすす分けされた。
味はほうれん草に近く、オクラのように粘り気があった。
雑草という捨てられるはずのもので、料理ができるのか。
豊かさとは、与えられた環境でどうやって楽しむのかを考えられることなのだ。
時給は1000円に届かない。寮設備もよくない。
そんな環境でも楽しく生活できる人たちがいた。お互いに尊重し合って、贈与し合う。
そんな世界に、お金は大して必要なかった。
ここから、この人たちからはまだまだ学ぶべきことがある。
続き↓
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