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寄り添い合う夫婦

うららかな春の陽気に連れられて、そごうなどの百貨店へと買い物へ行く様な気分で、そこには花が舞い散っていて、紙袋の折り目はパキッとしていて、電車よりも車、ワンボックスよりせめてブルーバードみたいな、世間的には新生活のスタートという中に、そういう初々しい空気感を感じるのですが、そこにはなにかガラスの靴の様な脆くて怖い、美しい印象も受けます。

いつ何時も、一緒にいる人というのは、時には向き合って

時には合体するくらい同意見で、

かと思えば、一人になって

かと思えば、一人残されて。

同じ方向を見ているつもりで

違っていたり。


それぞれが持つ"感覚"というのは、嘘ではなくて本当のこととして全く違うから面白くも、相手がこんなはずじゃなかったということを当たり前とも一緒にいないといけない。それはとっても難しいことですよね。人ってどうして、難しいことをやってみたくなるんだろうかと不思議に思います。それは、きっと違いがあることを、深く知っているからなんでしょうかね?近頃、そんなことばかりを自然と考える自分がいます。

全く関係ないのですが、この湯呑み、麻雀の花牌じゃね?と思います。


ランドリー・・・

どこか懐かしさを感じる、帰る場所としての「 写真 」「 道具たち 」を扱っております。

 [ ものがたり ] 盆暮れ正月となれば、何かをするためというわけでもなく、とりあえず帰ろうとする。でも「 帰ってきた 」と、心から深くそう感じられる場所へ、ふと帰りたいと思って振り返った時には、いつの間にか、もうその場所はどこにも無いと気づくこともある。そんな時に、何気なく撮っていた一枚の写真がその役割を果たす時があるように、家のどこかでなにか見覚えのあるような道具たちも、心の帰れる場所があるのでは?と思ったのでした。みなさんにとっての「ただいま」を、感じてもらえる体験となれたらと思います。





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