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探し物はなんですか?

「おばあちゃーん、文鎮かしてくれなーい?」
「文鎮?はいよ。」



「なにこれ!?普通の文鎮ないの?普通の文鎮。」
「んなもん、必要ない。」
「えーっ、明日、習字の授業で使おうと思ってるんだけど、こんなの持ってたら変なあだ名ついちゃうじゃん。」
「もらいもんだ。つべこべ言うでない。」
「・・・・」
「字かけりゃいいだべ。」

確かに、字を書くための文鎮だから、なんでもいいんだけど、そのなんでもいいってところへ、面白さセンスを光らせるのに日本人はピカイチだなと思う。随分と前に読んだ、米国の文化人類学者ルース・ベネディクトの「菊と刀」の中でも、刀という人を斬る道具でさえ美しさを求めているのは、日本人らしいと書いてあった気がする。他の国の武器は、それはそれは効率重視に見るからに恐ろしい感じで作られている中で、桜や菊といった四季を取り入れているなんていうのは「菊と刀」、まさしく日本人を表している言葉だなぁと思ったものです。ってなると、この文鎮もそれはそれは日本的なのですが・・・

本の中で印象的だったのは日本人の特徴は「恩を着せて欲しくない」というところ。日本人は、恩を感じると、恩を返さなきゃいけないものとして感じるらしく、その永遠に続くようなループから逃れようとする傾向にある。みたいなことが確か書いてあって、あー確かにそうだと思った記憶がある。(改めて本の内容を検索してみたら) 恩を返せない人=恥。というのが、通念としてあるらしく(あるある)、
それができないなら、そもそも恩を着せて欲しくないということだったかもしれない。

“ただより高いものはない” とよく言いますが、本当にただってものは怖いですよね。どう返せばいいのか、わからないから、ひとまず頂いたものよりいいものにしないと自然と思ってしまう。。。友達と、誕生日に物を送り合うみたいなことを、数年やったことがありますが、それはそれは恐ろしいプレッシャーものでした。この文鎮をタダでもらったおばあちゃん(架空)は、どんなお返しをしたんでしょうか。青銅の烏骨鶏か、青銅の鳳凰あたりでしょうか。いやいや、そこまでいっちゃうと辛いから、青銅の牛か、青銅のどじょうあたりにしておきましょうか (どっちみち青銅)

やっぱり基本第一は「自分のため」がシンプルでいいなぁと、身に沁みるこの頃です。



ランドリー・・・

どこか懐かしさを感じる、帰る場所としての「 写真 」「 道具たち 」を扱っております。


 [ ものがたり ] 盆暮れ正月となれば、何かをするためというわけでもなく、とりあえず帰ろうとする。でも「 帰ってきた 」と、心から深くそう感じられる場所へ、ふと帰りたいと思って振り返った時には、いつの間にか、もうその場所はどこにも無いと気づくこともある。そんな時に、何気なく撮っていた一枚の写真がその役割を果たす時があるように、家のどこかでなにか見覚えのあるような道具たちも、心の帰れる場所があるのでは?と思ったのでした。みなさんにとっての「ただいま」を、感じてもらえる体験となれたらと思います。





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