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独身貴族の話

ペースメーカーの男

其の男との連絡を断ち、早9年以上が過ぎた。
男と知り合ったのは、男が当時39歳の時。生きているならば今年の8月に52歳を迎えているはずだ。

生きているならばと表現したのには理由が存在する。男は体が弱く、心臓にはペースメーカーが埋め込まれている。カチカチと無機質な音が刻む鼓動は、エレベーターの狭い空間に響き、静まり返った空間にいる私に死や病を意識させる。

男はシルバーの三菱のFTOを大事にしていた。約13年前当時既に10年近く乗り続け、免許も持たず何も車の事を知らなかった私は初めて男の車を見た時、何て車高の低い小さなスポーツカーに乗っているんだという印象しか受けなかった。

未成年も甚だしい、16歳だった私は23歳も年上の其の男と交際を始め、芸術性の高い洋服や美術、映画色々な事を知った。

男はDries Van NotenやMaison Martin Margielaを愛し、実家の自室の隣の部屋を潰し押入れには大量のジャケットやライダース、ブルゾン。きっちりと畳まれたニットやTシャツ、カーディガンの入った衣装ケースが所狭しと床に積み上げられ、小さな白い箱にはアクセサリーや靴が入りそれらは大量に床の上に並んでいた。

総額何百万ではきかないのではなかったろうか。1着40万もするようなレザーのブルゾン。1枚3万円もするようなTシャツ等を本当に大量に所持していた。

男は洋服を買う為に時間と便利さを犠牲にし実家を出ることを拒み月曜日から金曜日まで、毎朝1時間電車に乗り関西空港の近くにある実家から心斎橋の職場まで通う。そしてまた週末もMargielaのある農林会館までやってくる。

3年ほど交際を続ける中、男と旅行に行ったことは一度もない。何か高額な贈り物をされた事もない。自らのレザーブルゾンのためにボーナスをはたき、自らのウールのパンツのために給料を使う。金で愛情を図るのはよろしくないが、私に使う金と服に使う金の比重や将来の展望につまらなさや下らなさを感じた私はその男との交際に終止符を打った。

残った思い出は毎週末に古着屋に行き、Margielaに行き、障がい者割引で映画館に行った事。男のファッションに少しばかり影響を受けた私の手元に残ったヤフオクやモバオク、セールで手に入れた足袋ブーツや四つの白い色のついた洋服達。

ペンキで白く塗られた初期の足袋ブーツや、カッティング、シルエットの気に入っていたワンピース、シルクのキャミソール等は金欠の際に売り払い今は手元に一つとして残らない。
そして、手元に何一つとして存在しない理由は、その後に付き合った男に洋服や交際相手に対し極度の嫌味を言われ続け、全てを何もかも手放したくなったからだ。

昨年1人アントワープに行きDries van Notenの本店の前に立ち男のことを久々に懐古した。未だに正規の価格ではおいそれと購入出来ない。今ではその嫌味男とも離れ、新たにMargielaの洋服を買い直し1人になった私のクローゼットをそのような服がまた占めるようになっている。

それを眺めるたび、素晴らしい文化を教えてくれた男に感謝の気持ちを覚え、ファッションがこれからの私の糧のなりゆく事に喜びを感じるのだ。

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