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保育シリーズ|言葉の遅れは気にしなくていい。

私は子どもの頃、保育園の年少組の時に自分の名前がはっきり言えませんでした。
名前が「しょう」だとしたら「ちょう」と言っていました。
つまり、サ行をタ行で言ってしまうのです。

そのことを父親はひどく心配しました。
「うちの子は自分の名前も言えないのか」と。
それから特訓が始まったのです。
父親と風呂に入り、名前を正確に言えないと罰として、洗面器のお湯の中に顔をつけなければいけませんでした。
父親が見ていて、やらないと許してくれないのです。
まだ幼いので、顔を水につけるのが怖かったことを覚えています。
名前が言えるまで、何度も続きました。
当然、すぐに名前が言えるはずもなく、父親の気分で終わり、風呂から出ることができるのです。
子どもながらに辛かったことを記憶しています。
今でも顔を水につけることはあまり好きではありません。
そのおかげ?で、ゆくゆくは名前が言えるようになっていくのですが、、、。

皆さんはこの記事を読んで、どう思いましたか?
これは躾でしょうか。
今だからこそ言えますが、他に方法があると思います。

ちなみに私の娘も保育園の年少組の頃に、サ行をタ行で発音していました。
例えば「さようなら」を「たようなら」と言っていたのです。
でも、私は心配もしないですし、焦ることもありませんでした。
その時は言えなくても、口は機能的に問題はないので、いずれ正確に発音できることを知っていたからです。
無知とは恐ろしいですよね。
知らないと私の父親のように、誤った行動をとってしまうかもしれないのです。
私が娘にしたことといえば、気長に待つことと、正しい発音を知らせることでした。
娘が「たようなら」と言った後に笑顔で「さようなら」と返すのです。
そのうち、正しい発音を覚え、口の機能が発達してくると、自然に言えるようになりました。
今ではおしゃべりが好きで、よく話をしてくれます。

そうです。
言葉の遅れは気にしなくてもいいんです。
ただし、口が機能的に問題があれば別ですが。
大抵は大丈夫です。
私が保育園に勤めていた時に、親御さんの中で、我が子がなかなか言葉が出なくて、心配される方がいました。
その時に私は決まってこう言うのです。
「大丈夫です。絶対に言えるようになりますから。一緒に見守っていきましょう」と。
自分や娘の体験や保育園でも数人の言葉の遅れがみられる子どもを保育してきた経験があるからです。

私の子どもで長男が生まれた時は、赤ちゃんの頃から休みの日にベビーカーで散歩に出かけ、よく言葉かけたり語りかけたりしていました。
電車が近くを走っていましたから「電車だよ。がたんごとんだね。」とか。
花壇の花を見て「これはちゅうりっぷだよ。赤色や黄色のお花だね。」などと言葉かけて、歌を歌っていました。
言葉のあふれた生活の中で自分の内に言葉を蓄えていったと思います。
多少、言葉を話すのが遅れていても、話せないのではなく、話さないのです。
そして、たくさん言葉をため込んだら、自然とあふれてきます。
その時を待てばいいだけなのです。
いつか話せるようになる、その日まで。
子どもの能力を信じてあげてください。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


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