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30年かけてできるようになったこと

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記事一覧

30年かかった後は3年で済む話 その3

常識は歳を重ねていけばいくほど固くなる。
「棒を奪い取る」、武術武道の経験のない人なら、これがどれだけ難しい事か知らないと思う。漫画や映画では主人公はヒョイと取り上げ恐れない。ごく当たり前にやってしまう。
ただ、実際にやってみればわかるが、これは本当に困難な事。

とはいえ、出来る人もいると思う。ただ、出来る人というのは、よくわからず出来るもの。その理由がわからない。だからこその才能なのだと思うが

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30年かかった後は3年で済む話 その2

身体は当たり前のものどれだけ身体を凄い凄い、と言葉にしても、無意識のレベルでは「当たり前」と思ってしまう。心は形がなく、見えないが、身体はここにあるのがわかるし、肉体として見えている。あまりにも身近であるがゆえに、凄さを忘れてしまう。

指先は小さい胴体、体幹、背骨、丹田・・・、中心を作っているこれらは肉体の中でも大切にされる。代わりのないものだから、なのだろう。
しかし、指先は違う。もちろん、指

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30年かかった後は3年で済む話

覚えてもいなかったが、このnoteを始めるきっかけになった術理と今、つながっている。

初めてnoteに記事を作ったのがこれ。
「30年かけてできるようになったこと」
角度をそろえて棒きれをヒョイととる技だ。

このマガジンの終わりに「角度から先端へ」と締めくくってあったが、形になるのに3年ほどかかったことになる。ただ、この3年が長いのか、短いのかわからない(笑)。
だって、最初のステップは30年

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30年の夢が叶う

ずっとやりたい技があった。「棒切れをヒョイと取り上げる技」だ。
時代劇ではよく見る技だが現実の世界ではなかなかお目にかかれない。
それを求めたのは30年ぐらい前、高校生の時だ。それがようやく願い叶ってしまった。その技ができるようになったのには理由がある。それを言葉に残しておこうと思う。

・とにかく伝えたいのは「角度が大事」という事。
実は私は30年かけてしまったが「角度が大事」と伝えてみれば、子

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日本の文化は両手を使う

30年できなかった事が出来てしまった。その原因は「角度」を揃えたから。どうすればいいのかという答えばかりを探してしまったから角度が悪いだなんて考えもしなかった。
自分がこんな動きをやれていること自体が不思議なのだが、何日かすればそれも当たり前になる。人間は不思議だ(笑)。
余裕が出てきたので理由を改めて考えてみると、一つの仮説が思い浮かんだ。今日は「時代と文化」の話。

・残されてきた答え
世の中

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ウソとホントの見極め方

インターネットの中にはたくさんの情報がある。その情報は心の隙間を埋めてくれる。しかし、情報の扱い方は難しい。なぜなら、人間は単純ではないから。同じ情報であっても、そこに合う合わないが生まれてくる。今日は「ウソとホント」についての話。

・肩甲骨は捨てる
20年前、稽古を始めた時、肩甲骨がなにかも知らなかったと思う。今なら誰もが知っているし、そのほぐし方も広まってきた。
肩甲骨をほぐす事が健康につな

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簡単を経験したことある?

noteを始めたのは伝えたいことが溢れ出すぎてきたから。ツイッターだけではちょっとうるさすぎると気になっていたところにいいものを見つけた。

今一番伝えたいのは「簡単はある」という事かもしれない。今日は「簡単」を自分のものにする話。

・経験は強い。
相手が手に持つ棒切れを取り上げる。この動きを手に入れるのに30年かかった。それを子供たちに伝えてみたところ5分で彼らはやってしまった(笑)。
30年

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なんとかロスについて

夢だった技に手が届いた事で新たな世界に踏み入った気がする。その夢だった技にたどり着くまでの道のりは長かったが、長くしてしまったのは私自身の思い込みからだった。
その反省も含めて、こうして言葉にしているのだけど、これまで味わった事のない気持ちに出会ったのでそれも伝えておきたい。
「なんとかロス」の話だ。

・目的を失う
相手から棒切れを奪い取る、そんな動きを求めて稽古をしてきた。まぁ、無意識的にだけ

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欲の力の働かせ方

子供の頃から何をやってもうまくいかないので、徐々に外向きの好奇心は減っていった。
誰よりも強く、早く、綺麗に何かをしなくても生きていけるし、ちょうどゲームが出てきて大欲を持たなくても楽しく生きていけた。欲を育てることなく、今あるものを扱って生きるのが性格となった。
しかし、社会に出れば衝突、トラブル、アクシデントもある。そこに出てくる困難を稽古に変えて生きていく道を見つけたから私は運がよかった。

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心を捨てる

私にとっては当たり前になってしまったが、「身体感覚」に従う、というのは案外難しいらしい。
あらゆる困難、問題を心に生まれる感情に振り回されることなく、身体の声を聴き、従うことが私にとっての生き方。
しかし、最初は身体の声よりも心の声の方が大きい。身体に従う、というのは心を捨てる、そんなことかもしれない、と最近思う。だから、どう嫌われようが「心を捨てる」と強い言葉で伝えてみたい。

・半身を捨てれば

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価値の作り方

私は目を内側に向ける稽古をしている。外には甘い言葉がたくさんあり、ついそれに任せたくなる。しかし、これまで何度もそれで痛い目に合ってきた。
身体感覚の研究をし始めてどれだけ練習してもダメだったことができるようになり、思いもしなかった技を手に入れたりした。それはすべて、身体の声を聴くようになったからだ。
身体からのメッセージはタダだ。このお金が力を持つ時代にタダの情報に価値を見出すのは難しい。しかし

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感情に振り回される前に行うべき事

普段稽古ばかりで昔の友達とも遊ぶことが無くなった。世間話から遠ざかっている。社会性がどんどん欠落していく(笑)。
しかし、今はどうやら、その社会性を問われる流れの中にいるらしい。立て続けに「雑談」を要求される。
雑談は受け流すもの、そこに正誤を入れる必要はない。ただ、私はこの世には真理があるのではないか、と生きているので話が合わないと感じた時、一刻も早くそこから逃げたい、そう思ってしまう。しかし、

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研究と勉強は違う

身体感覚の世界に出会ったとき、あまりの不思議さと手掛かりのなさに途方に暮れた。それまでやってきたことがまるで通用せずに頭の中が真っ白になった。その驚きが今にまで続いている。
運がよかったので気がつくと一人稽古を楽しめるようになった。そしてわかってきたことがある。勇気をもって今大切だと思っていることを手放すことが必要だ。
その一つが「勉強」。しっかりとシステム化された教育が日本にはある。いつの間にか

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角度はあらゆるところに存在する

このnoteを始めたきっかけはどうしても伝えたいものが見つかったからだ。その伝えたいこととは「角度」。これまで何度も言葉にして来たから、これを読んでくれる人にはそろそろクドイと思われているかもしれない(笑)。
しかし、きっとまだ、勘違いがある。角度は「あらゆる場面」に存在していて、それがずれることによって捻りを生み、トラブル、困難の元になっている。
角度を揃えることでこれまでどうしていいのかわから

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