価値の作り方

私は目を内側に向ける稽古をしている。外には甘い言葉がたくさんあり、ついそれに任せたくなる。しかし、これまで何度もそれで痛い目に合ってきた。
身体感覚の研究をし始めてどれだけ練習してもダメだったことができるようになり、思いもしなかった技を手に入れたりした。それはすべて、身体の声を聴くようになったからだ。
身体からのメッセージはタダだ。このお金が力を持つ時代にタダの情報に価値を見出すのは難しい。しかし、タダだからこそ、そこに無限の価値も与えられる。今日は「価値を作る」という話。

・セミナーがあふれかえる時代
現代はすごい。たくさんの人がそれぞれが持つ知識や知恵を隠すことなく広めてくれている。ネットを探せばありとあらゆるセミナーが見つかる。
そしてそれは無料のセミナーもあれば何十万円、百万円を超えるようなものまである。
中身に関しては知らない。しかし、何十万円を苦労して集め、自らの向上のために使えばそこに何十万円の価値を感じることができるのは確か。無料で聞いたものよりも、お金を出して聞いたことの方を大切にする。実はこれがもったいない。

・誰かが作る価値に流される
価格はその提供者が決める価値だ。同じ話だったとしても、それが百万円なら百万円の価値だ、と思い込むのは簡単。それだけ支払うのだから簡単だ。
しかし、百万円の価値が一千万円、一億円の価値だと感じるのは難しい。
確かな数字と、実際に身銭を切ったことで自然と価値に限界を作る。

・身体はタダ。身体からの気づきはタダ。
私はほとんど外へと学びにいかない。迷っていた昔はそうでもなかったが、今はほとんど外へ行かない。ひたすら、身体の感覚を探ることをしている。それが功をそうして、最近はずっと思い悩んでいた状況を打破する動きを手に入れた。この動きは身体に従っただけ。タダだ。
タダはどれだけの価値を持つのだろう。
その気づきがなんの成果をもたらさないなら価値をゼロとして認めることができる。しかし、足指が角度を決める、という気づきは30年間の悩みを解決してくれた。しかも、それは単純に「棒切れを奪い取る」という技だけではなく、人との関係、夢との関係、過去との関係、あらゆるものとの「向き合い方」を教えてくれた。これはいったいどれだけの価値だというのだろう。

・価値は自分で決める
私も講座や稽古を開いている。当然、参加費をもらう。しかし、その参加費はその時の技を教える対価ではない。どこで誰と話をしても、たいてい、その時、一番最先端の研究の話をして、相手が興味があるというのなら体験もしてもらっている。つまり、タダでだって伝えている。
では、私の稽古の参加費とは何かというと、それぞれの身体に向き合うため、身体感覚を探るためのきっかけを得るための場所の提供だ。
稽古会は研究会。初心者だろうが、決まりきった手順もないから、やろうとすれば自らが考えなくてはならない。何度か通ううちに自らが研究できる人になるはず。研究が肌に合わない、という人は自然と離れていくし、おそらく他のノウハウを教えてくれる勉強会に行くのだと思う。研究と勉強は似ているが違うのだ。

・幸せは自分が決める
あまりに当たり前なことだが幸せは自分が決めるのだ。自分の人生、選択に価値がある、と思えれば幸せに近づけるだろう。
外にある基準に目を向けるとどうしても誰かが作ったものさしで測るようになる。人と比べたくなったりもするかもしれない。
しかし、身体の感覚に従ってひらめきを大切にすればとてつもない幸せを感じることができるのだ。
稽古をし始めた時、自分が見つけた気づきにそれほど価値があるとは思えなかった。自分への評価が低かったからだ。しかし、年齢と稽古を重ねて行くと、何気ない気づきが特別なものだとわかってくる。もしかしたらこの気づきは一生気づけなかったものかもしれない、というようなことを何度も体験することができる。
物的な幸せの得方は本屋さんに行けばたくさんみつかる。それはそれで頑張ればいい。しかし、心的なものは自らの中に見つけなくてはいけない。知識は本屋さんで集められるがそこに納得を得なくては心は幸せにはならない。
自分の中にみつかる感覚、気づきにぜひぜひ無限の価値を与えてあげてください。きっと幸せが見つかります。

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