ウソとホントの見極め方

インターネットの中にはたくさんの情報がある。その情報は心の隙間を埋めてくれる。しかし、情報の扱い方は難しい。なぜなら、人間は単純ではないから。同じ情報であっても、そこに合う合わないが生まれてくる。今日は「ウソとホント」についての話。

・肩甲骨は捨てる
20年前、稽古を始めた時、肩甲骨がなにかも知らなかったと思う。今なら誰もが知っているし、そのほぐし方も広まってきた。
肩甲骨をほぐす事が健康につながる、と聞いてしまうとそれを頑張ってしまう。確かに肩甲骨をほぐせば動きは変わる。しかし、実は「成果」を得るためにはそれほど大切ではない。私の中では肩甲骨をほぐす事が健康の秘訣、という情報はウソなのだ。

・すでに私たちの身体はすごい。
肩甲骨は体幹にある。体幹は身体がねじれないようにするのがポイントだ。肩甲骨を動かそうとした時、体幹がねじれてしまうようならその練習はむしろマイナスになる。
失敗も学んで全部生かす、というのならこれもいい。しかし、多くの人はそこまで研究意欲を持って情報を探さない。痛い肩をなんとかしたい、というようにすぐに結果が欲しいのではないか。
この時、足らないところをまた鍛えるよりも、すでに力のある所へとスポットライトを変えた方がいい。

・体幹が手のひらのように動いたら・・・
体幹を動かす練習をすると身体をねじってしまう。それがよくない。ねじることの不味さを知っておかないとねじりから生まれる無理を我慢してしまう。若いうちにはそれも楽しいが歳をとってしまうとこれはきつい。
身体操法としては体幹が手のひらのように動けばいい、という考え方がある。手のひらはすでにすごいのだ。動かない体幹を手のひらにバージョンアップする考え方は先端で身を削るトップ選手がやればいい。しかし、普通に日常を暮らす我々は手のひらそのものに任せたらいいのだ。

・手のひらよりもすごいもの
実は手のひらよりもすごいものがある。それが「指先」だ。
実は30年間できなかった動きを得ることができたのも、「指先」に仕事を任せてみたから。大きな体幹を動かすのをやめて、指先を使い棒との角度を揃えてみたら奪い取る事ができるようになってしまった。
何度も言っているが、この技に30年かけてしまったが、5分でそれは伝わる。すでに誰もが持っている動きだった、という事。
指先は誰もが細かく動く。しかし、力がない。だから大きな力に立ち向かえない、と考えているのだろう。でもいいのだ。力は要らない。だって、角度を揃えるだけだから。

・ウソかホントを自分で決める
情報はたくさんある。しかし、それを見極めるのが難しい。やってみるのが一番なのだ。その時、邪魔をするのが遠慮。先生や先輩の顔が頭の中に思い浮かぶ。強い常識に絡んだ情報ならそれを捨てることで変人とみられることの怖れが思い浮かぶかも(笑)。
私は「一人稽古」を推奨している。私の稽古はつまるところ、いかに勝手にやってもらうかを伝えている。一人稽古だって上達する。最初は難しいかもしない。しかし、加齢とともに現れる体の不調が本当に自分に必要なことにちゃんと目を向けさせてくれる。試して嫌ならやめてみる。本当に気分のよくなることをどんどん求めたらいい。こっそりやれるのも一人稽古のいいところ。

・大切なこと
肩甲骨は要らない、捨ててしまう(笑)。

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