欲の力の働かせ方

子供の頃から何をやってもうまくいかないので、徐々に外向きの好奇心は減っていった。
誰よりも強く、早く、綺麗に何かをしなくても生きていけるし、ちょうどゲームが出てきて大欲を持たなくても楽しく生きていけた。欲を育てることなく、今あるものを扱って生きるのが性格となった。
しかし、社会に出れば衝突、トラブル、アクシデントもある。そこに出てくる困難を稽古に変えて生きていく道を見つけたから私は運がよかった。
ただ、やっと私にも「欲」についてわかってきたことがある。今日は「欲」の話。

・欲は前へと進む力
敵意を向けてくる相手に対してまっすぐ前へと進むというのは案外難しい。もちろん、こちらが相手よりも強い、とわかっていればできるかもしれないがそれは武術ではない。自分よりも強いとわかっている相手に対してどうするか、これまでまっすぐ入る、という選択肢はなかった。
それが右半身を捨てて、左半身だけになってみればそれができることがわかり、これまで持ったことのない気持ちに気づく。
自分が求めるところへと進められる、とわかると自分の中の欲深さが大きくなっていくようだ。

・身体に善悪はない
心に欲深さを見つけると自己否定的に嫌悪感を持ってしまうかもしれない。自分で自分を責めたりする。しかし、身体に見つける欲深さは力になる。それまで動けなかったところへと進む力を与えてくれる。
動く力を得たうえで何をするかを選択できる時心に自由を得られる。

・背骨を捨てる
肉体の中心には背骨がある。大切な仙骨、腰椎、胸椎、頸椎がある。そして、等しく肩甲骨があり動きを生み出す。しかし、これらの働きを全部捨ててしまえばいい、というのが今日の話。欲の力を引き出す時に左右の力は邪魔になる。迷いを生むからだ。

・迷いがない自分
何かを捨てるのは難しい。とりあえずもらっておこう、とつい思ってしまう。また、背骨、両腕、両脚となればむしろ、大切なものだ。しかし、それらが迷いを生むのだ。だから捨ててみる。すると迷いがなく、求める場所へとまっすぐ進むことができる。
捨てることの大切さは最近あちこちで言われているが、身体を攻めてくる敵を目の前にして捨てられなければ日常生活の中では使えない。
身体はここに確かにあるもの。少し注意を向ければ誰にでもできるし、そもそも「手放していく」ことなのだから生まれ持っての才能は要らない。必要なのはそれを選択するかどうかだけになる。

・自分の中にある欲を見つける
このところの暑さもあって、身体に負担がかかるのを感じている。ちょっと何かをすると疲れるのだ。それどころか、朝起きた時、これまでになかった疲れや重さを見つけたりすると、これが「老い」か、と痛感する。
ふと、自分の中に「健康でいたい」という気持ちを見つけた。
人は必ず死ぬ。それはわかっているし、これまで考えながら稽古もしてきたつもりだった。しかし、実際に身体に疲れを見つけてみると切実なる思いで、この疲れをなんとかしたい、と思い出した。
今の自分と将来の自分との間に「間合い」を見つけたことだと思う。

・目的に対してまっすぐに進む力が欲
角度を合わせるのは衝突後の話。それを解決できたから相手との距離を気にできたのだろう。健康な自分という心に生まれた目的に対して不安を持つことなく進めるのは間違いなく、右半身を捨てたからだ。
人がどんな欲を持っているかはわからない。欲のない人もいるかもしれない。しかし、長生きをしていると欲も出てきてしまうかもしれない。その時のために「半身を捨てる感覚」もあっていい。身体を得ているのだから、身体の使い方ぐらいは覚えておきたい。

・遠慮がちな人ほど変身を楽しんでほしい
欲に素直な人はトラブルに衝突した瞬間の技として角度処理を学んだらいい。遠慮がちな人はつい、トラブルから逃げてしまう。半身を捨てる技を理解出来たら逃げなくてもよくなる。
稽古はこれまでの自分とは違う自分に出会うことができるものだ。自分の内側に見たことのない世界を見つけるのは誰にでもできる事。誰かと競い合うことも楽しいが、そうじゃないものもある。ちょっと試してもらいたい。


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