簡単を経験したことある?

noteを始めたのは伝えたいことが溢れ出すぎてきたから。ツイッターだけではちょっとうるさすぎると気になっていたところにいいものを見つけた。

今一番伝えたいのは「簡単はある」という事かもしれない。今日は「簡単」を自分のものにする話。

・経験は強い。
相手が手に持つ棒切れを取り上げる。この動きを手に入れるのに30年かかった。それを子供たちに伝えてみたところ5分で彼らはやってしまった(笑)。
30年×365日×24時間×60分=15,768,000分が5分になるのだ。彼らに特別な才能があったわけではない。誰に伝えても5分だ。
どうやら私が勝手に遠回りをしただけで、そもそも「簡単な技」だったみたい。難しいと思っていたことが簡単だった。遠回りは無駄に思えるが、簡単を経験するには必要なものかもしれない。

・やれる人はやれる理由がわからない。
案外、やれてしまう人は自分がやれてしまう理由を知らないのではないか。
様々なスポーツでそれぞれが頂点を求めしのぎを削っている。努力と根性も相変わらず人気だ。しかし、努力と根性をトップ選手以上に行っている人もいるだろう。しかし、それだけでは敵わない。
子供の頃なら余計にそうだ。はじめはみんな下手だ。バットの持ち方だって知らない。しかし、同じ練習をする過程で徐々に差が開く。いつのまにかやれてしまうことを土台としている。その土台こそ「簡単と思う気持ち」ではないかと思う。

・好きと簡単
好きこそものの上手なれ、という言葉がある。好きになれる、というのは簡単だからこそ思えるもの。難しいものであればいつか、そこから離れてしまう。なかなかその難しいものを続けていくことは難しい。
難しいものを好きと思える時だって、顕微鏡の目によって難しさの中になるほど!という簡単さを見つけているのかもしれない。

・簡単は自分で決めるもの
棒を取り上げる技が簡単だとわかってしまった。難しさを作り上げていた、という事を自覚した。つまり逆に言えば「簡単も作れる」という事だ。
何かを目標にしたとき、自分の心の土台に「それは簡単」と決めることができれば、その後の稽古、練習、研究だって楽しくやれる。我慢して行う稽古はさぼりたくなるが、楽しく興味を持って行える研究はずっと続けられる。簡単と思うことで、結果として簡単にそこへとたどり着けるはずだ。それを実体験によって確信した。

・武術は怖いもの
武術では難しさを簡単に学べる。痛みや恐怖は頭でどうコントロールしても勝手に出てくる。自分の中の未熟なところが拡大していく。棒で叩かれれば痛い。何度も叩かれるうちに恐怖を学ぶ。反射的に身体が縮む。それを何とかしようとしてもコツがない状況ではまずできない。簡単にそれは難しい、と学べる。

そして、ここがスタートだ。心の底から難しい、と感じたことをたった一言のコツによって解決できたとする。その時、難しさを自分が作り上げていたことがわかるだろう。しなくてもいい遠回りを作ったのは自分だとわかる。

・簡単は作れる
簡単はある。簡単は自分で決める。簡単は作れる。覚えておいてほしい。簡単を手に入れたら本当に欲しいもの、本当に好きなこと、本当にやりたかったことにちゃんと向き合うことができる。向き合うことができれば心は幸せになる。アクシデントによってこの命が終わってしまっても、その最後の瞬間まで自分が本当に求めていることに向き合えていたらきっと幸せだ。そんな生き方ができるんだ、とうれしく思えるようになった。

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