誰も幸せになれない話は【八〇〇文字の短編小説 #13】
あの日から、父親のダグラスは、息子のスティーブンに本当のことを伝えるべきではなかったのではないかと考え続けている。母親のシモーヌが緑内障で目が見えなくなるかもしれない現実を、まだ幼いスティーブンは受け止められずにいる。真夜中に二階の子ども部屋からときどきうめき声が聞こえてくる。
シモーヌは気丈に振る舞っているけれど、スティーブンの心の痛みまで抱え込んでいるように見える。シモーヌと話し合った結果とはいえ、ダグラスは自分の選択が間違っていたのではないかと思ってしまう。八年前に父親から継いだアンティークショップで働く間も、どこか上の空だ。
ダグラスはそれでも、死んでもスティーブンには明かすべきではない真実は守ろうと誓った。自分たちはスティーブンの本当の両親ではない──スティーブンはダグラスの弟サイモンの息子だ。ポーツマスに移り住んだの弟夫妻はほどなく車で衝突事故を起こし、この世を去った。奇跡的に生き残った二歳の赤ん坊を、ダグラスとシモーヌは迷うことなく引き取った。
ダグラスは時折、ライドの街にあるアンティークショップからシービューの自宅に帰る途中、海岸沿いに車を停めて、ひとり思いをめぐらせた。誰にでも、知らなくて良い真実がある。シモーヌの目の件は、遅かれ早かれスティーブンに気づかれただろうと、自分をなぐさめた。けれども、実の両親はもういないのだとスティーブンは知る必要はない。誰も幸せになれない話は墓場まで持っていくべきなのだ。
ダグラスは物思いにふけるとき、よく車の中でリチャード・アシュクロフトの『Alone with Everybody』というアルバムを流した。海を眺めながら一連の音楽を聞くともなく聞いていると、自分が安っぽい映画の端役のように思えてくる。
もうすぐ冬が来る。薄暗い空が低く覆いかぶさってきた。シモーヌの悲しみとスティーブンの痛みを思うたび、ダグラスは胸が苦しくなる。
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