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何もかもが思うようにいかない【八〇〇文字の短編小説 #28】

夕方ホワイトチャペル駅を降りたとき、雨が降り出した。リアンは自分の髪が濡れるままに歩いていく。スカートの裾が少し濡れる。

昨日の夜、アリス・マンローの短編を読み始めて、すぐに本を閉じた。「プライド」と題された作品の書き出し──何もかもまずいことになってしまう人というのがいる。どう説明したらいいだろう? つまり、何もかもが思うようにいかない人がいる、ということだ──に落ち込んだ。

映画監督を夢見てワイト島からロンドンに出てきてから十年がたつ。もうすぐ三十歳になるのに、自分はまだ何者でもない。ずっと企業や病院のホームページなどを彩る映像制作のアルバイトを続けている。

二十三歳のときに撮影した「青春はいちどだけ」という恋愛ものでインディペンデント映画祭で最優秀を得たものの、その後はずっと足踏みが続く。二十六歳のとき、チェコまで行って仕上げた「大事な話があるの」は自信作だったのに、評判にはならなかった。商業的に成功した映画監督とは言えない。対して、「青春はいちどだけ」で助監督を務めてくれたヘスターはいまや地球規模で誰も知らない人がいない女流映画監督となった。「クリスマスに雪が降れば」という作品で世界中から大喝采を浴びた。

先週の日曜日、チャリング・クロス駅の近くで歌っていたバスカーの姿を思い出したリアンは、「人生はそういうものかもしれない」と考えている。二十歳そこそこのシンガーは路上でトラヴィスの「Why Does It Always Rain On Me?」を歌っていた。どうしていつも僕に雨が降り注ぐんだろう? 十七歳のときに嘘をついたせいかな?

雨足が強まる。リアンは「わたしも十七歳のときに何か嘘をついたのかもしれない」と思う。雨を浴びながら、いま撮影している「川はいつまでも流れている」が完成したら、どちらにせよ夢をきっぱりと諦めようと決めた。不意に右足のヒールが折れる。ああ、何もかもが思うようにいかない。

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