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金木犀の季節に急行列車に飛び込んだのはわたしだったのかもしれない【二〇〇〇文字の短編小説 #15】

あれから、深夜二時ごろに目が覚める日が多くなった。

冷たい汗のせいで背筋が冷える。「あれはひょっとしたらわたしだったのかもしれない」と思い、眠れない時間が続く。大学生になってから、余計に寝つけない夜が増えている。あの痛ましい出来事からちょうど五年が過ぎた。今と同じく、金木犀が切なく香る季節の事件だった。

わたしは母親の薦めもあって、私立の中高一貫校を受験した。セーラー服の空色の三角タイがなかなか結べなかった入学式の日、最初のホームルームが始まる前にわたしの緊張を解きほぐしてくれたのが、真理だった。同じクラスで、わたしの後ろの席に座っていた。

「肩に糸くずがついてるよ」

そう声をかけてくれた真理に「ありがとう」と答えると、柔らかな笑みを浮かべた。目鼻立ちが整っていて、さわやかなショートカットがよく似合う。私たちは住んでいる区と出身の小学校を教え合った。ホームルームの自己紹介で真理が「演劇部に入ろうかと考えています」と言うのを聞いて、「気が合いそうだな」と思った。わたしも入学前から演劇部に興味があった。

ホームルームのあと、真理がまた言葉をかけてくれた。誘われるまま廊下に出ると、背が高く髪の長い女の子が立っていた。真理と同じ小学校だという。「わたしは千夏。よろしくね」とあいさつをする彼女の肩越しに、校舎の周りに並ぶ桜がきれいに見えた。

わたしたちは一緒に演劇部に入った。千夏と同じクラスの真弓と泰代も入部していて、四月が終わるころ、わたしたちは五人組になった。休み時間に集まって他愛もない話をして、月曜日と木曜日と金曜日の放課後には演劇部に向かった。四人とも演技は未経験だったけれど、自分ではない誰かになれる時間を楽しみにしていた。

演劇部には、十月の文化祭で新入生だけで舞台に上がるという伝統があった。保護者も観にくるらしい。台本は自分たちで選び、大道具も小道具も自分たちでつくり、役づくりも演技プランも自分たちで考える。毎月二回、高等部の演劇部に在籍する先輩たちが演技指導をしてくれるしきたりもあった。

台本を決めたのは真理だった。大学で先生をしている父親の書斎から『蜜の味』という本を持ってきた。五十年ほど前にイギリスの十八歳の女の子が書いた戯曲だという。「登場人物は五人だし、ちょうどいいと思う」。真理はそう言いながら、「でも、ちょっと長いんだよね」と付け足した。高等部の先輩との最初の顔合わせで相談すると、眼鏡をかけた三年生が「内容が少し大人っぽすぎる作品だよね」と言い、中学一年生でも演じられるように物語の一部を省き、四十分程度で終わるように台本に手を加えてくれることになった。

練習を重ね、十月の初舞台で演じ切った『蜜の味』は拍手喝采を浴びた。素直にうれしかったけれど、今振り返ると、中学一年生が役を担うには重いストーリーだったと思う。当時も今も、わたしは『蜜の味』を消化しきれていない。娼婦のヘレンとその娘のジョー。ヘレンの愛人のようなピーター。ジョーが恋に落ちる黒人水夫のボーイ。ボーイの子どもを身籠ったジョーを支えるゲイのジェフ。今思えば、それぞれが孤独で疎外感に苦しんでいるような印象がある。なぜ真理がこの戯曲をわざわざ選んできたのかはわからない。

『蜜の味』を演じ終わったあとは、千夏の提案で打ち上げをすることになっていた。千夏のお姉さんが教えてくれたカフェで、私たちはパンケーキとそれぞれ好きな飲み物を頼んだ。初舞台を終え、興奮が冷めやらないままの五人組はきっと騒がしかったと思う。不意に真理がカフェに流れる音楽を指差して、「この曲知ってる。ニルヴァーナってバンドの『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』って曲だわ」と教えてくれた。大学生のお兄さんがよく聴いているのだという。真理にはどこか大人びた雰囲気があった。

それから一年ほどたって、金木犀の香るなか、わたしたちは五人組から三人組になった。

ある月曜日の朝、真理と真弓が学校の近くの踏切をくぐって急行列車に飛び込んだ。その日の放課後に事実を知らされた私は、頭が真っ白になり、目の前が真っ暗になった。先週の金曜日もいつもどおりに部活に出て、いつものように一緒に帰ったのに。来年の地区大会で何を演じるか五人で話し合ったばかりなのに──。

二人とも遺書を残したわけではなく、その理由は誰にもわからない。いじめがあったとも思えない。真理と真弓のどちらが誘ったのかも、永遠にわからないだろう。新聞には目撃者の言葉として、二人は手をつないだまま飛び込んだと書いてあった。私たちは五人組で、同じ空間で同じ時間を過ごしていた。だからこそ、あの出来事を思い出すたび、「あれはひょっとしたらわたしだったのかもしれない」と心がねじれてくる。私にとって金木犀の香りは悲しみそのものだ。

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