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気づきとは、まったく別の分野から共通点を見つけた瞬間。

ボクはローストにおける味づくりという表現で、目指したいと思う美しさの目線を見つけることと、それを成すためのその美しさの成り立ちを理解したいために美術館に赴くことにしている。

昨日も静岡市美術館に出向いてきたのですが、そこで気づきがあったのです。

美術館に赴き、そこで大切にしていることは、「ずうっと見ていられるもの」という美しさの作品に出会うことである。

その「ずうっと見ていられるもの」とは、その美しさの「何かに惹かれている」モノになるので、その惹かれているピンポイントの箇所を分析することで、自身が感じているモノが「何であるのかを知るきっかけになる」ためである。

昨日も、ボクの中で「ずうっと見ていられるもの」が3つあり、ひとつは書であり、ひとつは漆器であり、ひとつは伊藤若冲さんの水墨画でした。
そしてその共通点から気づきが生まれるのだと気づいたのです。

そして大切なことは目線であり、視点である。
どこを美しいと感じ見ている、そのピンポイントの箇所を自身で気づくことで、共通点に気づき、そしてその美しさの成り立ちの理解へと繋がる道であることに気づくのです。

ローストにおける良質さを「ローストの美しさ」と置き換えることが出来るものであるならば、「美しさの共通点」から学び、目指す美しさは、ローストとは無関係のモノであったとしても「美しさ」は同じであるので、その「美しさの共通点」から、美しさの成り立ちを学び、それをローストに当てはめれば良いことなのだ。

ボクは今までもそうやって、美しい味づくりのために、ローストの美しさを独学で学んできた。
もちろんそれを成すために、ローストにおける技法を駆使しなくてはならないのだが、それは28年もローストに携わってきた経験値から、「美しさの共通点」をローストに置き換えることは不思議と何となく解ってしまうことであるのだ。

そして、一言で述べてしまうと、美しさとは「透明感」であり「クリーンさ」である。
その「美しさの理解」を深め、その成り立ちを理解することで、目指す表現の可能性が高まるのだ。

どうしたなら、美しいローストの表現が可能になるのか?
その美しさとは、どのような表現であるのか?
漠然としたものから、学ぶことで徐々に明確な表現へと移りゆくことが可能になる。

それもこれも、まずは気づくことが出発点なのだ。
そして、その「気づくこと」は、実は「感じること」が始点となっていることに気づかなくてはならなくて、実はボクはかなり前にそこに気づいていて、「感じる」ためにしなくてはならない学びに取り組んできた結果、「気づき」に変換させることが出来るようになってきたのだ。

昨日、感じ気づいたことを、昨日からずうっと考えていて、それを今朝のローストに当てはめてローストをしてみた。
初回のローストはまだ荒削りではあるものの、その表現の可能性は、また一段階ステップを上がったことを意味していた。


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