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日々の泡沫

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ささやかな日常の雑感、備忘録
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#エッセイ

【エッセイ】駅前の本屋が閉店したと思ったら、新規開店していた件

【エッセイ】駅前の本屋が閉店したと思ったら、新規開店していた件

 年末に駅前の行きつけの書店を訪れたところ、立て札が出ていた。

 あー、地元で40年以上も営業してきたこの本屋さんもとうとう閉業か、時の流れだなあ。ずいぶんと寂しくなる。大型店ではなかったけれど、文学、歴史、人文科学の新刊が充実していて、とても品揃えの良い書店だったのに。……面白そうな本を見つけては、タイトルを暗記して図書館で借りたりしたものだ。あ、いや、でもそれは高額な新刊の場合で、文庫や新書

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【エッセイ】看板に偽りあり

【エッセイ】看板に偽りあり

 うかつなことに、カモシカは鹿の仲間でなく、牛科であると知らずに生きてきました。

 そこで思い出されたのが、上野動物園のタテガミオオカミです。「オオカミではありません」と、大きく看板に書かれていました。ちなみに、うなじの毛も黒くて逆立ってるけど、タテガミと言うほどでもないような。動物界の二重に「看板に偽りあり」動物として、貴重な存在なのかもしれませんね。

 いや、あんた、タテガミもなく、オオカ

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【エッセイ】そして、カレーうどんに至る

【エッセイ】そして、カレーうどんに至る

 カレーライスが好き、そしてうどんもまあ好き。だからといって、カレーうどんが大好きだとならないのは何故なのか。カレーにはやはり飯が合う、なんてこだわりもないようなものだが。

 一体、カレーうどんを最後に食べたのはいつのことだろう。

 関西のうどん文化で育ったものだから、東京で評判の蕎麦屋に入って値段に驚かされたことがある。ひょっとしてもはや大衆料理ではない? 高いばかりで若い胃袋には全然物足り

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【エッセイ】シラフの日々

【エッセイ】シラフの日々

 現場での夜勤を終えて、オフィスに戻る。始発までぽつねんと待っている時間がもったいないから、健康のために隣の駅まで歩く。

 午前四時四十分、ようやくシャッターが開いて、エスカレーターを使わず階段を歩いて深い深い地下へと下りてゆく。まだ誰もいない地下鉄の駅の肘掛けの付いたベンチに腰かけると、思いもよらず座り心地が良く、清涼な風が吹いてきて、睡眠不足と疲れもあってうつらうつらしていたら、どういうわけ

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【エッセイ】絶滅仕事図鑑

 近い将来、自分の仕事はAIに奪われるのではないのだろうか……そんな不安を抱いてもどうしようもない。何年後かには確実にそうなる。そのときのために備えておく。

 なんて考えると、一見ポジティブなようだけど、では具体的にどう備えるのかとなると、何の知恵も浮かばない。

 そうなると、人はちょっとばかし後ろ向きになるものらしい。どんな仕事が生き残るだろうかと頭を働かせるよりも、そういえば、一昔前、いや

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【エッセイ】禿頭考

【エッセイ】禿頭考

 ある朝、ひどく気がかりな夢から覚めて洗面所で鏡を見ると、あろうことか頭髪がすっかり抜け落ちている、そんな夢を見た。思わず洗面所へ駆け込んで確かめずにいられないほどリアルな夢だった。

 精神分析学なら、どんな風に解釈するだろうか。どう考えたってフロイトの唱えるエディプス・コンプレックスだとか、ユングの唱える元型などではこの夢は説明できない。とはいえ、どうやら私の無意識の領域に深く関わっているらし

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【エッセイ】心配事のほとんどは起こらなかったのか?

【エッセイ】心配事のほとんどは起こらなかったのか?

 ふと、たしかマーク・トウェインに「心配事のほとんどは起こらなかった」というような言葉があったはずだが、と検索してみると、『心配事の9割は起こらない』という本がヒットした。もちろん、作者はマーク・トウェインではない。

 その本の著者は禅僧にして大学教授、庭園デザイナーという方で、『減らす、手放す、忘れる「禅の教え」』という副題から、ジャンル的には自己啓発本に入るかと思われる。売る方は「減らす、手

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真夜中のアリクイ

真夜中のアリクイ

 夜勤明けの仕事帰り、コンビニで缶ビールと柿ピーを買って未明の住宅地を歩いていると、不意にケモノが目の前を悠々と横切った。ある家のガレージから一方通行の道路を渡って、反対側の家の庭へ。
 犬猫ではない。タヌキでも、ハクビシンでもないようだ。近所の空き家の荒れ果てた庭にタヌキのつがいが住み着いて、角から頭だけだして、仲良くこちらをうかがっているのに出くわしたのは、10年も昔になるか。しかし、もうこの

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「ヘビとサソリ」ヘビの章

「ヘビとサソリ」ヘビの章

 蛇蝎の如く嫌う、あるいは、嫌われる、という表現がある。ヘビとサソリが、当たり前のように嫌われ者の代表選手になっているのは、何故なのか。ここでの嫌うというのが生理的嫌悪感であることに注目したい。人は、獅子虎の如く忌み嫌うとは、決して言わないのである。
 もちろんヘビやサソリをペットにする人もいるだろうが、極めて少数であり、それは進化のちょっとした揺らぎのようなものでないのか、敢えて生理的嫌悪感を克

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生理的嫌悪感について

生理的嫌悪感について

 生理的嫌悪感について語るのは、難しい。思い出すのは、あるライターが、元プロ野球選手について、顔には生理的な嫌悪を感じるけれど、解説は良いなんて書いた一件である。当の解説者が「親から貰った顔、傷つく」と反応したことからちょっとした騒動が起こり、結果、記事は修正、それから削除、編集長が謝罪に追い込まれたように記憶している。

 顔に生理的嫌悪を感じるというのは、ルッキズム云々の前にそもそも失礼であっ

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