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【エッセイ】シラフの日々

 現場での夜勤を終えて、オフィスに戻る。始発までぽつねんと待っている時間がもったいないから、健康のために隣の駅まで歩く。

 午前四時四十分、ようやくシャッターが開いて、エスカレーターを使わず階段を歩いて深い深い地下へと下りてゆく。まだ誰もいない地下鉄の駅の肘掛けの付いたベンチに腰かけると、思いもよらず座り心地が良く、清涼な風が吹いてきて、睡眠不足と疲れもあってうつらうつらしていたら、どういうわけか早瀬のせせらぎが聞こえる。どこかでカッコウが鳴き出して、都会の底に深山幽谷の気が満ちて来る。

 若い頃の山歩きの記憶が夢に彩りを添えたのだろうか、ふとそんなことを後から思った。いや、そうじゃない、あれは録音されたものだと今更ながら思い当たると、自分の迂闊さが自分でおかしくも愛おしい。間抜けだなあ。

 ハッと目覚めると始発を逃している。あるいは、始発に乗っても、こんこんと眠り続けて、乗り換え駅をはるかに乗り過ごしてしまう。そんな日々が続いていた。

 入眠の儀式なるものがあると聞くが、自分には無縁で、どのようなものなのかも想像ができない。歯を磨いたりパジャマに着替えたりするのは当たり前のルーティンだから、ことさらに儀式と言うほどでもなかろう。だとすると、ナイトキャップこそが自分にとっての儀式のようなものかもしれぬ。その寝酒なしに、短いけれど甘美な睡りが毎朝のように夜勤明けに訪れるのだった。

 別に仕事前とか仕事中に飲酒するわけでもないから、アルコール依存症ではないと自身に言い聞かせてきたけれど、気がつけば酒がないと眠れない体になっていた。酒がずっと残ってつらい想いをして、今日は控えるかと思っていても、やっぱり寝る前になると飲んでしまう。さすがに量は減ってきたが。

 しかし、ここ最近の早朝の居眠りの心地よさは何故なのかつらつら考えてみると、それはシラフであることに由来するとしか思えない(もちろん、オーバーワークは別にして)。頭痛、気怠さ、あの疲労の全然とれてないどころか、蓄積してゆく感覚は全てアルコールのせいにちがいなかった(オーバーワークは別である)。数年前に禁煙に成功したことだし、今度は禁酒、いや断酒、そうでなくても節酒ぐらいにはチャレンジしてみるか。

 そんなわけで、柄にもなくハーブティーなぞ飲んで寝床に就いて暗闇で目を閉じたが、体がちっとも睡眠モードに入らない。酔いのもたらす感覚の麻痺がなければ、いくら疲れていても、アレをやってコレを片付けてなどと仕事の段取りや心配事などが次々と浮かんで脳は却って興奮してくるのである。眠れない、いつまで経っても頭が静まらず、空白を埋めるようと絶えず何事かぶつぶつ呟くように考えてる。早く眠らなければと焦れば焦るほど、目が冴えてゆく。

 ところが、いつしか眠っている。眠っている自分に気がついて、あれ、オレ眠っていない?と驚いている。でも、オレが眠っているのなら、この驚いているオレは一体誰なんだ? しばらく意識が途絶えて、おや、たった今意識が消えていたなと首を傾げるような。

 さっきまで確かに目覚めて、何事か考えていた。その思考がいつしか脈絡を失い、やがてまどろむ、その時に自分は何を考えていたか知りたく思うけれど、さあ今だと思考をつかもうとしても、もはや眠気には抗えない。酒を抜いて、まるで睡眠を再発見したかのようだ。

 自分でも思いがけないことに、禁酒は続いたのだった。すると、夜勤明けの甘美な睡りを体は必要としなくなったばかりではなく、頭がクリアになり仕事が捗って、満員電車で立っていることも辛くない。とにかく体が軽い。比喩ばかりではなく、体重も落ちてきた。目覚めが爽やかなので、数年前に禁煙したらすぐに健やかな朝勃ちが戻ってきたことを思い出したほどだ。酔っ払って寝ても、あれは酔い潰れて意識を失っていただけであって、質の良い眠りではない。

 しかし、何か満ち足りない。人は陶酔なしに生きることはできないと言ったのは、誰だったか。とにかく人は酔っ払っている。酒ばかりではない。音楽に、スポーツに、賭け事に、政治に。恋愛や憎しみに。何事かに熱狂し我を忘れるということに、何か進化的な適応性があるとでもいうのか。

 賭け事はやらず、音楽ももうずいぶん聞いていない。政治には疎く、好きになったり憎んだりするほど他人に興味もない。そんな自身が酔うことができるのは、やはりアルコールしかない。

 断酒一週間、錯覚のように体調が良くて、普段は呑まない日本酒の、それも大吟醸を買ってきた。お猪口がないものだから、ウイスキー用のロックグラスになみなみと注ぐと、澄み切った酒がゆらゆらと光を反射して、やがて静まると透過する。ごくりと喉が鳴った。一大決心でもしたかのようにグラスを傾け透明な液体を啜ると、すーっと入ってくる。五臓六腑に染み渡るという感覚はこういうことか。

 酒を絶って、酒の旨さを再発見したようなものだった。旨すぎて、呑みすぎて、やがて味もわからなくなり、二日酔いになるのはもはや必定である。

(了)

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