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真夜中のアリクイ

 夜勤明けの仕事帰り、コンビニで缶ビールと柿ピーを買って未明の住宅地を歩いていると、不意にケモノが目の前を悠々と横切った。ある家のガレージから一方通行の道路を渡って、反対側の家の庭へ。
 犬猫ではない。タヌキでも、ハクビシンでもないようだ。近所の空き家の荒れ果てた庭にタヌキのつがいが住み着いて、角から頭だけだして、仲良くこちらをうかがっているのに出くわしたのは、10年も昔になるか。しかし、もうこのあたりに空き家はない。まるで綱渡りするかのように被覆電線を伝うハクビシンを見たこともある。最寄駅から副都心まで急行で10分ほどの距離しかないのだが。又、知人宅の屋根裏に何かが棲みついて、皮膚の発疹がひどく、業者に駆除してもらったら、それがやはりハクビシンであったという。
 ビールを飲みながら検索してみると、ストライプのふさふさの尻尾からして、見かけたケモノはアライグマで間違いなさそうである。逃げたか、あるいは無責任な飼い主がリリースしたものが、野生化というのか、都会化というのか、とにかく野良アライグマとなった。アニメの影響でペットとして流行った時期があったが、人には慣れず、可愛いらしい外見とは裏腹に案外凶暴な性格で、実はアニメのラストも少年が手に負えなくなったアライグマを野生に返す別れを描いているらしい。
 親とはぐれた野生動物の仔を拾って育てて野生に返す、そんな物語のルーティンは確かにあり、子ども心をくすぐるのである。

 子ども時代を過ごした地方都市では、作業服の男たちが捕獲網を手に野犬の群れを追い回す光景を目にしたのものであった。袋小路へ追い詰めて、一網打尽にするのである。通学途中の電信柱の根元に、まだ目の開くか開かぬかの仔犬らが段ボール箱に詰められ捨てられているのも、珍しくはなかった。飢えているのだろう、震えながらミューミュー鳴いている。野良猫が床下で仔を産んだなどという話を友だちから聞かされたこともある。しかし、さすがに野生動物はおらず、タヌキだのアラグマだのは動物園かアニメーションの世界であった。

 学生時代に下宿した街には大きな公園があって、東京三大湧水池の一つとして知られ、休日になると人出があり、茶店で寛いだり、貸しボートを浮かべたり、遊歩道を散策してみたり。
 実は当時、この池にワニがいるという人騒がせな噂があった。一口にワニといっても色々な種類がいて、小さいものもいるのだろうけど、これほど人が押し寄せ、カモが群れをなしてのんびりと浮かんでいる池にワニというのは、都市伝説にしてもあまりに馬鹿馬鹿しくないか、そう思っていたところが。
 ニュース番組で、この池でカミツキガメが捕獲されたという映像が流れた。ワニの目撃情報が相次ぎ、区で調べてみたというのである。大の大人が一抱えするほどの大きさで、太い首が長く伸びて、恐ろしい鉤爪を持っている。そして、口を大きく広いて威嚇しながら、係員に咬みつこうとする獰猛さ。ビチビチと尻尾を振りながら、意外に素早く襲いかかってくる。牙は持たないが、指を食いちぎられてもおかしくない、散歩中の小型犬ならひとたまりもないだろう。
 高は括れぬものだと舌を巻く。

 そういはいっても、行きつけの酒場にふらりと入ってきた一見客の言葉を鵜呑みにするわけにはいかなかった。
 赤い顔に座った目をして、真夜中に近所でアリクイを見たと言うのである。
「それはお主、酔っていたのじゃろう」
「それがし、いかに酔うてはいても、アリクイを見間違えることはござらん」
 そりゃそうかもしれぬ。しかし、人の目は何でも見てしまうし、また何でも見えてしまうものである。幽霊や恐竜、エイリアンやUFOの目撃情報をいちいち真に受けてはいられない。イノセントな子どもがヒバゴンをたしかに目にしたと主張したからといって、嘘をついているとは限らない、ただそう信じ込んでいるだけだ。だからこそ、厄介なのである。
「アライグマなら、見かけたことはあるけどなあ。ひょっとしたら、長い尻尾と首とをアベコベに見間違えたんじゃないですかね。前後を逆にすると、アライグマはアリクイに似ている。ほら、灰と黒のストライプだし」
 こちらも酔っているので、思い返すと、我ながらかなりいい加減なことを言っている。
「だとするとそいつは、バックしていたことになりますね。尻尾から進んでいたのだから」
「いや、アライグマだって、たまには後ずさったりするものでしょう」
 言い争っても仕方のないようことに、酔いも手伝ってちょっとムキになっていたのかもしれない。もちろん、私はアライグマが後ずさりするところをこの目で見たこともなければ、話に聞いたこともない。
「いやいや、アライグマの尻尾は太くてフサフサしてて、全然違いますよ」
「ハクビシンの尻尾なら、どうです。細長い」
 酔いに濁った頭でアリクイの姿形を思い出そうとした、細長い顔というか、口吻、灰色の毛深い体、それから……尻尾はどうなっていたっけ。今までの人生で、これほどまでにアリクイのことを想ったことはなかったし、これからもないだろう。前脚で蟻塚を抱えるようにして、ひょろ長い舌をその穴に差し込み蟻をすくって食べる。一体、一日に何匹ぐらい食べるのだろうか。上野か多摩か、動物園で見たようにも思うが、そんなにたくさんの蟻を用意できるものなんだろうか。
「あのね、もし、仮に逃げた野良アリクイがこの街をうろついていれば、目撃者がひとりということはないですよ。もっと噂になっているはず」
 今度はカミツキガメのことを思い出して、そう言った。
「逃げたら、飼い主もすぐに通報するだろうし、そもそもペットにするには大変でしょう、そんなにたくさんの蟻を用意できるわけがないし。ワハハハ」
 私は勝ち誇った。
 それにしても、アリクイとか、カミツキガメとか、アライグマとか、名が体を表すというのか、生態を表すというのか、そういう動物の名付け方って、ちょっと感心してしまう。ハクビシンだって、漢字で書けば白鼻芯となるし、他にはたとえば、ナマケモノやハダカデバネズミなどが思いつく。反対にパンダとかコアラというのは、ちょっと由来も生態もわかりづらいので、それぞれササクイ、ユーカリクイと呼んでも良いような気がしないでもない。ちなみに、前者の中国名は大熊猫、後者の和名は袋熊、又は子守り熊というらしい。

 閑話休題。
 帰宅ラッシュの電車からライオンを見かけた、という内容のエッセイがある。高校生のときにラジオの朗読で聞いて、それが男性の声だったものだから、作者はてっきり男性であると長きに渡って誤解していた。
 アリクイの目撃談から、記憶の底にあったこのエッセイのことがふと連想されて、調べてみて驚いたことには、時代は違えど場所が目と鼻の先なのであった。もはや同じ街の出来事といって良い。
 夏の夕方、満員電車に揺られていると、木造アパートの二階に、男と雄ライオンが並んでいるのを見たというだけの話である。これを名エッセイとして挙げる作家もいるけれど、ラジオで聞いた高校生は、なんとつまらぬホラ話だろうと眉を顰めたものだ。全然面白くない上に、朗読のすっとぼけた調子も気に食わない。
 なんだか、それから何十年も経って、アリクイ目撃談を聞いたときのリアクションと似ていることに、今更ながら呆れてしまう。もちろん、プロの作家がエッセイで話を盛る、すっとぼけたホラ話をいけしゃあしゃあと体験談として書くということは、アリだろう。しかし、何というか、あり得ないところで、あり得ないものを見ましたよという、小説としては成立しないような、ただそれだけの話で、ライオンというチョイスも通俗的というか、陳腐というか、繰り返しになるが、全然面白くない。
 エサ、臭い、フンの始末など、一々疑問点を挙げてツッコむのは野暮なことで、大人の読者なら大らかに笑って受け流すものなのだろうか。
 自分としてはどちらかというと、真夜中の寝静まった住宅街で、オオアリクイが街灯の明かりの届かない電柱の影にひっそり佇んで、時おりひょろ長い舌をひらめかせている、そんなイメージの方に惹かれる。あるいは、ムーンウォークのような後ずさりを見せるアライグマとか。しかし、それではインパクトが弱い、だからライオンを持ってくる、そんな発想が陳腐に思えて好きではないのかもしれない。ここは名が体を表す、味わい深い動物たちが相応しいのではないのか。
 ところで、そのエッセイには続編があって、ライオンを飼っていた人から著者あてに電話があったというのだ。雄ではなく雌で、狭い檻に閉じ込めてクル病になってしまったので、動物園に寄付したという報告である。ライオンを入れる檻をどうやってアパートの扉から中に入れたというのか、嘘の上塗りではないかとゲンナリする。

 それはさておき、酔い醒めにアリクイについて調べてみると(なんか調べてばっかりだが)、べらぼうに値段は張るものの、ペットとして飼育することは禁じられていないらしく、餌には食虫動物専用フードや乾燥餌虫というのがあるという。ほらね、やっぱり高は括れぬものだ。とするとあの酔いどれの目撃も信憑性を増してくるわけで、これは謝罪が必要な案件ではないか、頭から否定してすいませんでした、と。そういえば、アパートの一室から大蛇が逃走したというニュースも記憶に新しい。
 どこにである住宅地の退屈な毎日が、俄にジャングルのスリルに満ちたアドベンチャーへと変貌するような気がしないでもない。

(了)

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