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だから私は善人である

人間は、一人ひとり「善と悪」を表裏一体として平等に持たされている。なぜならば、光が闇影の存在のお陰で浮き立つように、善であるために悪が必要なのである。この実相の上に、人類の初発は「完善」なものとして誕生したが、やがて悪心を抱いたり、働かせたりするようになり、少しずつ悪の甘い蜜が、善を凌駕し始めていった。それが実態としてこの世に悪の波動が蔓延してしまっているのだ。最も厄介なことに、人類のほとんどが、善悪の分別がつかなくなり、無自覚のうちに悪に加担していたり、自身でも見えないところで微悪を重ね続けていたりする。これが積もり積もって取返しのつかないことになりつつあるのが今の世であることを知らねばならぬ。善悪の特徴は、表裏一体の上、その中間はない。即ち、白か黒かで灰色はない。であるならば、善か悪か、そのどちらかということになる。「私は完善に生きている。善悪が何かも分かっているし、未だかつて悪いことなどした覚えはない。だから私は善人である」。この世が真の善人ばかりであれば、今のようにはなっていない。しかし、現実はそうなってはいない。「私は大丈夫。私は善人」というのは本当か。良心に問い、そう言い切れるか。善悪の分別、分かった心算となっていないか。今一度、己の行いを日々振返ってみるべし。そこに微悪があれば、それは一切善人とは言えない。これが実相の厳しさであることを押してしるべし。このことは、死んで逝かねば、結果が分からない仕組みとなっている。全て記録されている。死んだ後に、それを全て見せられる。後悔先に立たず。この世のうちに改心すべし。


そのことを肝に銘じ、性根を入れ替え、善悪の分別をつけ、善一筋に生きます。


有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者