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全て償った上で、棺桶に入る。

人間は、生きても死んでも、これ“続き”。「死」というものがあることによって、輪廻の存在を悟ることが出来るようになっている。従って、信仰がどうであれ、好もうが好まざろうが、この世の死で全て終わりではなく、その先が連綿と続く。即ち、この世での出来事は、死ぬことで全てチャラになったりはしないということだ。全て記憶、記録され、あの世に持ち越される。良いことも悪いことも全て。この世で隠し誤魔化し知らぬ振りをしてきたことも、たとえ当の本人が忘れてしまっていたとしても、あの世で全て気付くまで、走馬灯のように繰り返しその在り様を見せられる。そして、次の生までに反省し、新たな生き様を設定することになる。それ故に、あの世の厳しさ苦しさは、この世の比ではないことを推してしるべし。寸毫の言い訳も通用しない。このことが真に理解できたのならば、微悪、大悪に関わらず、生前に拵えた悪しき行為の数々を、死後に持ち越さない方がいいと悟れるはず。全て償った上で、棺桶に入る。そうすれば、“あの世での生き方”も変わってくる。これ、人間が長い年月を掛け、真の人に成る様、篩に掛けられ淘汰される実相の仕組み。己の生き様を見よ!もし、隠し、誤魔化し、知らぬ振りをしてきたことがあれば、それを猛省し、一からやり直す勇気を持つべし。人間、長い短いにかかわらず、棺桶に入るまで、その改心の機会は平等に与えられている。



そのことを肝に銘じ、自分自身のこれまでの生き様を振り返り、心に蟠りのあることがあれば、それを反省し、今から修正できるよう精進します。



有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者