インド瞑想旅が私を変えた 11|これからの私が生きる道
新たな瞑想の境地を得て、「平和は既にここにある」と確信した私(第10話)
目を閉じるだけで、すぐに「幸せに満ちた、もうひとりの自分」を感じられるようになった。
そのことが、私の考えを大きく変えたのだ。
「平和は実現するものではなく、存在に気がつくもの」
その思いが、全身を覆った。
数日後。瞑想会場で、突然ある想いがやってくる。
突然やってきた想い
この旅が終わりに近づいていた、ある日。
私は夕方の瞑想を終え、いつものように横になって休んでいた。
夕闇が迫る中、瞑想会場の中を風が吹き抜ける。まるで自分が風と一つになったように感じた。
すると、突然、
「近いうちに、あの人に会うことになる」
という想いがやってきた。
noteで数回やり取りをしただけの方。それなのに、確信に似た気持ちだ。
実際、帰国後すぐに、その方からお声がけいただき、会うことになった。
私はかつて、早期退職を突然決めたものの先が見えず、インドへ瞑想の旅に出たことがある。
ある方の「人生が変わる」という言葉に背中を押されたのだ。日本に戻ると、確かに人生を変える出会いが待っていた。
あれから8年。「この方との出会いも、あの時と同じだ」と思っている。
人生を変える出会い
山伏の方との出会いに不思議な体験。神道の大学への入学と2年間の学生生活。noteやお茶会の開始。
早期退職をしてから、そんな怒涛の日々を過ごす中で、私の感覚や考えは大きく変わっていった。
以前は遠い存在だった神を近くに感じるようになり、「意味もなく幸せ」という状態を知った私。
だが、そういう自分になるほど、以前は疑問を持たなかったことに違和感を抱くようになっていく。
乱立するスピリチュアルな発信やサービス。自由に生きるために飛びつくものの、かえって自分を縛りつけているように見える人たち。
正直なところ、その状況に息苦しさを感じてきた。特にnoteを始めて、その思いが強くなったのだ。
「そちらに向かうと苦しくなる」と伝えたい気持ちが強くなり過ぎて、空回りしてしまう。相手から拒否反応を示されることもあった。
だが、この方との出会いによって、私は次第に吹っ切れるようになっていく。
あらゆる葛藤を経験されながらも、純粋な世界を生きている方。迷える私に自信を与えてくれる存在。
再びインドへ瞑想旅に出たお陰で、8年前と同じように人生を変える出会いができたのだ。
私が抱えていた葛藤
以前、神の島と言われる久高島で「神様事を伝えて困っている人を助ける」という人生の指針を得た。
それから7年。あれだけの体験をしたのに、結局は何者にもなっていないという葛藤があった。
私は、神道の大学に入学した時から、同じ職場で派遣社員として働いている。その仕事で生活費を得ながら、noteを書いて、お茶会をする日々だ。
私にとって、noteを書くことは趣味ではない。個人的な目的を達成するための手段でもない。
「謎の使命感」に突き動かされて書いている。
それは3年経った今でも変わらない。私なりの神様事として続けているのだ。お茶会も同じである。
だが、それだけでは足りないと感じていた。神様事を生業にしないといけない。そう思っていたのだ。
実際、山伏の方から「いつまで時給で働いてるの」と言われたこともある。
だが、この出会いと、新たにやってきた想いによって、これからの私が生きる道が見えてきた。
作家になる
「近いうちに、あの人に会うことになる」
その想いが瞑想会場で突然やってきた後、さらに次の想いがやってきた。
「私は作家になる」
そう思ったのである。
正直なところ、なぜ作家なのか、自分でもよく分からなかった。
私は、小さな頃から童話や小説に不思議なぐらい関心が薄い方だった。多くの人が当たり前に知っている本の名前が分からなくて、時々驚かれる程だ。
実際、noteでも自分の体験談は書いているが、創作の文章は書いていない。
エッセイストや文筆家ならまだ分かるが、なぜ作家なのだろうか。
ひとつだけ思い当たることがある。
神とつながり作品を生み出す
インドに向かう飛行機の中で、私は横尾忠則の本を取りつかれたように読んでいた。
これまで興味を持ったことはない。それなのに、急に読みたくなって、直前に取り寄せていたのだ。
本の中で、横尾忠則は、人の魂を揺さぶるのが本物の芸術であること、それには神とつながって創作する必要があることを、繰り返し語っている。
自分の願望を叶えるために、神の力を借りるのではない。
人智を超えた存在に委ねて生きた先に、作品を生み出す。その作品が人の魂を揺さぶる。その在り方に強く惹かれた。
「私はこういう生き方がしたかったんだ」
そう思い知らされたのである。
「私は作家になる」という想い。
それは、小説家というよりは、神とつながり、相手の心の奥を揺さぶる作品を生み出す人になるということ。
直前にこの本を読んでいたことも、旅の終盤にこの想いがやってきたことも、偶然ではない。
心からそう思ったのである。
実は、今回出会った方も画家だ。
長年、会社に勤めながら、画家の活動を続けてきたが、昨年いっぱいで退職された。不思議な体験を数多くしてきた方でもある。
ついには、数年前、神様の光の玉がお腹に鎮まるという体験をされた。退職は、このことが大きく影響しているのだという。
今は、残りの人生をかけて、自分が本当にやりたいことをやろうとされている。その姿が、私を導いてくれているのだ。
今まで疑問だったこと
私には以前から「noteに書いた記事をもっと多くの方に読んでいただきたい」という思いがあった。
さらに「記事を書いてお茶会をすることで生活できたら、どんなに良いだろう」という気持ちも、正直あった。
そのために、ある方のセミナーを受講したこともある。昔は編集者だったが、今は作家に転身され、多くの電子書籍を出している方だ。
そのセミナーには簡単なコンサルもついていた。私の記事を電子書籍にするなら、何に留意したら良いか。そう質問すると、こんな答えが帰ってきた。
「本に限らず、人は自分が抱える問題を解決してくれるものにお金を出す」
「村瀬さんの記事は、体験は語っているが、解決策を示してはいない」
そう言うのだ。
この方の指摘は、頭ではよく分かる。
私は30年近く、IT企業で広報やプロモーションの仕事をしてきた。その手法と同じだからだ。
伝える対象を決め、このことに困っていないかと呼びかけ、こうすれば解決すると言う。実際、今でも仕事ではそういう文章を書いている。
私にとって、この方が言うような記事を書くのは、難しいことではない。そうした方が、多くの人に読んではいただけるのだろう。
それなのに、「だったら、いいや」と即座に思ってしまった。
そうしなければ今の生活を続けるしかないとしても、受け入れる。迷うことなく、そう思ったのだ。
あの時は、どうしてこんなにあっさり引き下がってしまうのか、自分でもよく分からなかった。
だが、この旅での体験と、私にやって来たふたつの想いによって、ようやく腑に落ちることになる。
これからの私が生きる道
私はこの旅であらゆる体験をして、
「問題を否定したり、引き起こした原因を探ったりする必要はない」
「自分の状態が変わると環境が変わる。問題はその体験をするためのものでしかない」
と気づいた。
さらに今回気づいたことがある。
思えば、この「問題に見えることも、本当は問題ではない」ということを、私は図らずも記事の中でずっと書いてきたということだ。
私は、早期退職をして、いろいろな体験はしたが、客観的に見れば、何も成し得ていない。
好きなことを仕事にできている訳でもない。むしろ、社会的な立場や収入を失っただけとも言える。今でも悩みや葛藤はある。
だけど、やはり「意味もなく幸せ」なのだ。
「だったら、いいや」と思った理由。
それは、私の役目が「問題を遠ざける必要はない。それでも幸せになれる」とお伝えすることだから。
今になって、ようやくそう気づいた。うまく生きるためのマニュアルを書くことが役目ではないのだ。
この旅を経て、私は、良いことも悪いことも、どんなに小さなことも、すべてが神から私へのメッセージだと感じるようになった。
それだけで、「この自分で生きていけば良い」と、心から安心できる。
幸せになるために、何かを手に入れないといけないわけではない。幸せはすでに存在している。
そのことを感じていただけるような、人の魂を揺さぶる作品として記事を書き続ける。
それが、これからの私が生きる道。
「謎の使命感」と言ったが、記事を書くことは私にとっても大きな喜びだ。夢中になって、時間を忘れて書いている。
自分の人生に起こった体験を、何かの知識に当てはめるのではなく、自分の言葉で綴っていく。その作品を読んで、心を動かしてくださる方がいる。
そのことが、ただただ嬉しいのだ。
***
多くの体験をもたらしたこの旅も、ついに終わりの刻を迎えた。
帰国の日。私は思いがけない心境に至ることになる。
つづく
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★40代独身女性が先を決めずに早期退職したら、不思議な体験をして、自分の使命に気づく話
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