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生きるのも死ぬのも、神様次第|第12話

【早期退職の理由は、神様が教えてくれた】
毎週日曜日の18:30に公開していた連載。40代独身女性が先を決めずに早期退職したら、不思議な体験をして、自分の使命に気づく話です。書くことになった経緯はこちら

8月末、山の神様にご挨拶するため、二度目の登拝に臨んだ私(第11話

山小屋で昼食を済ませ、ついに八ツ峰(やつみね)に登る時が来た。山小屋に残る方の見送りを受けて、本当に登るのだと実感が湧いてきた。

八ツ峰は、八海山の山頂部にある8つの岩峰の総称だ。垂直に切り立った断崖絶壁であり、鎖や梯子を使わなければ登れない箇所が連続する。

古くから山伏が修行してきた霊峰の核心部だ。

通常の登山なら上級者しか登らない。初心者の私が登るのは考えられないことだ。登拝では、8つの峰をすべて登った後、迂回路で山小屋へ戻る。

私は、伝説の山伏・月岡先達の後に続く。

1峰目の地蔵岳、2峰目の不動岳は、鎖場はあるが足場が比較的安定しており、安心して登れた。

だが、八ツ峰は先に行けば行くほど険しくなる。

5峰目の釈迦岳まで迂回路がないため、ここで引き返す方も多い。

迂回路も簡単な道ではなく、私の場合、一人で歩くのは難しい。引き返さなければ、結局8峰目の大日岳まで行くしかない。大きな分かれ道である。

だが、私は、なぜか迷うことなく、夢中で3峰目に向かった。

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落ちれば命はない、切れ落ちた崖のような峰。その岩肌につかまりながら、片足を置くのがやっとの足場を一歩一歩進む。

進んだ先には、垂直に切り立った険しい崖がそびえている。ぶらぶらする不安定な鎖に命を預けながら、少しずつ登っていく。

登り切れば、今度は遥か下までつづく垂直の崖を、再び鎖につかまりながら降りていく。慣れない私は、時折すべりそうになる。

進めば進むほど高さも険しさも増していく。時には、どう登ったら良いかわからない所すらある。神経をすり減らしながらの道のりである。

月岡先達は、そんな私をじっと見守っている。登れないときには手短に方法を示してくれる。

私は私で、月岡先達に無我夢中で付き従う。それ以外のことは頭にない。

そんな時間を長く過ごした後。突然、不思議な気持ちに包まれた。

「幸せだな」

生きるのも死ぬのも、神様次第。自分には選べない。そのことが、とてつもなく幸せ。

身体中で、そう感じたのである。

私は特定の宗教を信じる者ではない。神様の存在を否定はしないが、肯定し切れてもいなかった。

その感覚は、早期退職後に不思議な体験をしても、どこか残っていた。

だが、このとき心の底から実感できたのだ。

神様はすぐそばで私たちを見守り導いている。感謝の気持ちがとめどなく溢れてきた。

そう感じることができたのは、正にいま私を導いている月岡先達の存在があったからだ。人をその境地に導く先達の役目を想う。

これ以降、怖いという気持ちは消えていった。光の中を歩いているような感覚のまま、八ツ峰の登拝を無事終えたのである。

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翌朝、私達は下山した。滝行で身を清める。

社務所でお護摩(護摩祈祷)をいただいた後、地酒と郷土料理で直会(なおらい)が始まった。

無事に戻ることができた安堵と登拝をやり遂げた達成感。私は思う存分楽しんだ。

だが、この後、本当の修行が幕を開けた。1年以上、私は苦しむことになる。

つづく

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