瞑想なしでは、生きられない|第15話
42歳の秋。初めての瞑想で、すぐに世界の見え方が変わってしまった私(第14話)
同じ道なのに、車の音もスピードも、何もかもが、瞑想の前とは全然違う大きさで迫ってくる。すべてが私に向かって飛び込んでくるようだ。
世界の解像度が急激に上がってしまった感覚。
この日から、私は瞑想なしでは生きられなくなった。
夕方の異変
翌日の朝。私はいつもより早起きをした。朝の瞑想をするためである。
私が習った瞑想は、1日に2回、朝夕に20分ずつ行う。今日から早速、自分で実習するのだ。
家のベッドに腰かけて瞑想してみる。ひとりでうまくできるか不安だったが、自然にできた。
だが、昨晩のような強烈な体験はない。淡々と瞑想した感じだ。
いつものように会社へ行き、仕事をする。大きな変化はないように感じる。
だが、夕方が近づくにつれて、再び自分の変化を痛感した。次第に頭がひどく痛くなってきたのである。
頭痛というよりは、脳が炎症を起こしているような、初めての感覚。何も手につかないのだ。
「このままでは、仕事ができない」
そう思った私は、休憩を装い、席を離れた。夕方の瞑想をしてみようと思ったのである。
瞑想なしでは、生きられない
この年から、1万人以上が勤務する、大きな事業場で働いていた。
エレベータで降り、広々とした社員食堂に向かう。この時間は営業しておらず、人もまばらだ。
その中でも、電気が消され、柱の陰になる場所を探した。周りに人がいないことを確認して、椅子に座る。
私は目を閉じて、瞑想をはじめた。
すぐに頭の中の塊が溶けて、全身から余計な力が抜けていく。
20分が経ち、ゆっくり目を開ける。
すると、頭の痛みはすっかりなくなっていた。
目の前の景色が、ここに来た時よりも、はっきりと近くに感じられる。昨晩、初めて瞑想した後と同じだ。身体の疲れも取れているのがわかる。
この変化は一体何なのだろう。
瞑想をはじめて、世界の見え方が変わり、急激に解像度が上がったことで、頭に負荷がかかるようになったのだろうか。
それとも、本当は今までも負荷がかかっていたのに、気づかないでいたのだろうか。
理由はよくわからない。だが、
「瞑想なしでは生きられない身体になった」
と思わざるを得なかった。
心も身体も変わっていく私
私が瞑想をはじめたのは、原因不明の体調不良に悩まされ、アーユルヴェーダのクリニックに行ったのがきっかけだった。
先生に「根本的に治すには瞑想しかない」と言われたのだ。
説明を聞くうちに、「体調が悪いのは、身体というよりも、頭が疲れているからだ」と気づき、頭をクールダウンさせたい一心ではじめた。
だが、瞑想の効果はそんなものではないようだ。
「心も身体も、大きく変わっていくのかもしれない」という予感が押し寄せる。
瞑想とアーユルヴェーダ。このふたつに取り組むことで、実際に私は、想像以上に速いスピードで変化していくことになる。
つづく
写真:本田織恵
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