神様に奉仕する人と直接感じる人の違い|明治神宮で禊(みそぎ)の日々 5
御神前での忘れられない鎮魂(ちんこん)を体験した後、ようやく初日を終えて、眠りについた私(第4回)
「ドン、ドン」
低く大きな太鼓の音で目が覚める。2日目の朝の5時。起床の合図だ。
これから長い1日がまた始まる。
慌ただしい朝
明治神宮の実習では、部屋を出るときには必ず、白の着物に白の袴の装束姿でなければならない。
朝も例外ではない。着装(ちゃくそう、装束を着ること)しなければ、お手洗いに行くこともできないのだ。
点呼まで30分。慌てて歯磨き・洗面をする。さらに、寝具のシートを外し、きれいに片付ける必要もある。時間がない。
だが、御神域にふさわしい身だしなみに整える必要がある。なんとか寝癖を直し、髪が顔にかからないよう、丹念にピンで留める。
普段、着替えも準備も遅い私は、おおわらわである。
結局、化粧をあきらめ、どうにか点呼に間に合った。真夏の日差しの中、日焼け止めも塗らずに、国旗掲揚へ向かう。
神に奉仕する人と直接感じる人の違い
その後は朝の禊行である。昨夕の禊行と同様、再び研修所へ戻り、禊装束に着替える。少しは早くなったものの、相変わらず皆の後を追いかける。
だが、禊行が始まってしまえば、そんなもたもたした自分を離れて、神様と一体になったような、清々しい気持ちになる。
早期退職後、不思議な体験をした末に、神道を学ぶことになった私。
神様に奉仕する者として求められる振る舞いよりも、神様を直接感じることの方が得意なようだ。昨夜の鎮魂(ちんこん)と同じである。
「ここにいるのは神様にご奉仕する人、神様と直接話ができる人は違う世界で生きていく」
という言葉が頭をもたげる。
だが、禊行が終わると、私たちは息つく間もなく朝拝(ちょうはい、朝の神拝行事)へ向かった。
昨夜と同様、先導役の道彦(みちひこ)の後に続き参進する。再び御神前に向かうのだ。手水・修祓(しゅばつ、お祓い)をして拝殿の奥へ進む。
朝拝は、夕拝(ゆうはい)と違って、鎮魂はない。残念だが、朝の御神域で神拝行事をするのは、何とも言えない爽やかな気持ちである。
神に感謝し国家の安寧を願う行事。全国の神社で、毎日、朝夕に欠かさず行われてきた営み。
受け継がれてきたのは、いつの時代も、神にご奉仕する人々がいたからである。その重みを感じながら、初めての朝拝が終わった。
一生立ち入ることの出来ない場所
続いて、御祭神が鎮まる本殿の周辺を清掃する。
明治神宮では、一般参拝者は本殿を目にすることができない。外拝殿と呼ばれる建物の手前から参拝する。
奥に見えるのが内拝殿。その奥に本殿があるが、塀に囲まれて見えないのだ。
初めて見る本殿。その姿をのぞみながら、落ち葉などを拾う。
係の方から「明治神宮に奉職しなければ、一生立ち入ることの出来ない所です」と説明を受ける。
今はすぐそこに見えているのに、不思議な気持ちである。
だが、本殿に限らず、朝拝・夕拝をさせていただく場所も、全てが今だからこそ入らせていただけているのだ。
実習に来て以来、予定に追われ、どこか気ぜわしく過ごしてしまっていた。
だが、神様のすぐ側で、束の間の心静かな時間が流れる。皆も黙々と清掃をしている。
5時に起床してから3時間。朝の実習を終え、私たちはようやく朝食の時間を迎えた。無言の食事の始まりである。
***
その後も、講話、祭式の稽古、教育勅語の浄書など、隙間なく実習が続く。
夕方には1日目と同じく、禊行。さらに、夕食後は夜間参拝が待っている。
昨日よりも一層長かった2日目。だが、夜を迎え、どうにか折り返しを過ぎたという安堵感がある。
明日は3日目。あと1日頑張れば、明後日には家に帰ることができる。だが、その日の夜、思いもかけないことが起こった。
つづく
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