山伏との出会い|第3話
人生が変わる。この殺し文句をきっかけに、インド瞑想3週間の旅に出た私(第2話)。
人里離れた異国の地での、仙人のような日々。帰国後も、その後遺症があった。
街の音がやたら大きく感じる。すぐに疲れる。違う星に降り立ってしまったような感覚があった。
生産的なことは何もできない状態。だが、幸い無職なひとり暮らしなので、思う存分ぼんやりとしていた。
そんなある日、友人と夜ごはんを食べることになった。ひとしきり話に花が咲いた後。彼女は言った。
「私のカイロの先生が山伏になって、こんど護摩祈祷をはじめるんだけど、家も近いし、来ない?」
…またもや、思わぬお誘いをいただいた。
整体師が山伏になるって、どういうこと…?
そもそも、山伏って東京にいるものなのか。整骨院で護摩祈祷って…
疑問はつきない。とはいえ、ノープランの身。断る理由もない。もともと護摩祈祷への興味もあった。
結局、11月のある日、私は会場へ向かった。自宅にほど近い、小さな整骨院だ。
中に入ると、装束を身につけた女性がいた。新潟にある八海山尊神社の山伏(先達:せんだつ)、佐藤智江さんである。
佐藤さんは東京で整骨院を営んできたが、5年前、縁あって先達になる修行をはじめた。先月に免許皆伝を受けてすぐ、護摩祈祷(お護摩)をはじめたのだという。
たしかに、山伏というよりは、明るい整体師の方という風情だ。一体どんな縁があると、そんなことになるんだろう。
だが、お護摩がはじまると、一変した。常人とは異なるピリッとした雰囲気。張りつめた空気の中、祝詞(のりと)の奏上がはじまった。
祝詞そのものは、七五三、厄除けなど、神社で祈願するときに神職が行うものと、大きくは変わらない。
だが、しばらくすると、九字(くじ)を切り始めた。陰陽師のようだ。護摩木を積み上げ、火を焚いていく。
火は容赦なく燃えさかる。まるで意志を持っているみたいだ。火に押されて、吊るされた紙の束(切り下げ)が激しく舞い上がる。だが、一向に燃える気配はない。
その様子はどこか神々しく、なぜか心の迷いが晴れるような気持ちになった。思わず手を合わせる。瞬く間に、初めてのお護摩は終わった。
その後、直会(なおらい)があった。お神酒(おみき)など神前に捧げたものを、皆で飲み食いする。
そこで私は、インド瞑想3週間の旅や、アーユルヴェーダのデトックス(パンチャカルマ)で行った食事療法の話をした。
この時なぜか佐藤さんと意気投合し、個別に会うようになった。月に1〜2回ご自宅へ伺い、数時間お話する。ときにはお茶や食事もする。
私は、思いがけず、山伏の方とご近所づきあいをするようになっていたのだ。
そんなある日、佐藤さんに「なぜ先達修行をはじめたのですか」と聞いた。すると、驚きの話が飛び出した。
つづく
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