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シンデレラのあなたにガラスの靴を履かせたいぼく #超短編小説

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かめがやひろしの超短編小説マガジンです。
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記事一覧

アザーサイド(超短編小説#30)

おやすみ。 そう口にしたあと、彼女はぼくが聞いたことのない大きめな寝息を立てていた。 いつも「寝息立ててるよ」と言われている側からすると、実体験を伴って初めて相手の気持ちが分かる。そういう瞬間だった。 規則正しく鼻か口から洩れる空気の音。 それを聞きながら、天井を見つめる。 細長い窓に入ってきた外の光が、微妙に合っていないサイズのカーテンの脇から天井に姿を映し出される。 どういう仕組みなんだろ。 もっと物理の授業をしっかり聞いていれば、屈折率とかに興味が持てていれば、こ

ふたりでコンビニ行きたいの(超短編小説#29)

「じゃあそっちもゆっくり休んでね」 そう彼女が言うと2秒ほど静かな時間が流れ 「通話を終了しました」のモーダルが スクリーンに映し出される。 今日もお互いの食べたもの 観たネットチャンネルのこと よさそうと思った服のこと 簡単なレシピのこと だいたい半径3メートルくらいで起こったことを 報告しあった。 今朝ごはん食べるときにパッと手元見たらさ 箸の色が赤だったんだよね。 食べ始めてから気づいたわ。 無意識に彼女の箸を使ってしまった話をしたら 彼女は画面の向こう側で笑いな

また逢う日まで季節は巡る(超短編小説#28)

電話口で父はあの人の死を告げた。 それは電話がきた時点でそういう内容とわかる口ぶりであったし、それはあえて電話をかけてきたというタイミングだった。 それでも父の第一声「体調はどうだ」というやけに冷静な挨拶も、自然と受け入れられる心情だった。 人は大事なことを伝えるときに、改まる動物なのかもしれない。 事実は事実としてしか耳に入らず、事実は悲しみに変わって心に土足で入り込んできた。 そしてそれは丁寧に靴を脱いで落ち着いた様子で腰を下ろしたと思ったら、あっというまに涙に溶

ぼくらの「ずっと待ってるから」はどこへ行ったのだろう(超短編小説#27)

土曜日の午前中に車のなかで 彼女は目に涙をためてぼくにこう言った。 「ずっと待ってるからね。」 想いをこめたということが 渡されたときから伝わってくる手紙には こう書かれていた。 「ずっと待ってるね。私がそうしたいし 身勝手でごめんね。」 日曜の午後の渋谷の喫茶店で ぼくは何食わぬ顔でこう言っていた。 「きっとずっとこのまま 待っているんだと思う。 結婚しても子どもが生まれても。」 どれも今ではその 「待っている」という状態は もうどこにもなくて お互いがお

きっと今日もうさぎは月でお餅をついている(超短編小説#26)

定時に仕事が終わらない今日をくぐり抜け いつものように深夜1時を過ぎて布団に潜り込む 寝る時間がいつもと同じ時間なので ぼくにとってこの時間は定時で たまに芸能人の熱愛スクープの記事にある 「深夜23時の六本木で」なんて状況説明の 深夜という表現は本当に深夜なのか 読むたびにいつも訝しくなる 今日は下弦の月だそうだ おいしそうに下半分だけが黄金色に 光り輝く月を見上げながら 思わず一口目に「あまっ」と声が出た 缶に入ったワインベースのカクテルは 極度の甘味に包まれ

明け方に触れる髪はぼくの指を抜けていく。(超短編小説#25)

目は開けていないけれど 頭は朝を迎えたことを分かっていた 目を閉じたままでも 太陽の光に世界が包まれ始めているのを感じる 薄っすら開いてしまった目が 朝になっていることを正しく判断した 隣のマンションを向いている 小さい窓の方を見ると カーテンに薄っすらとした 明るい輪郭ができていた 「明け方」 この3文字が今の時間帯を 分かりやすく表現している 小さい窓へ向けた重た頭を さらに横に倒していく スーッスー 規則正しく聞こえる寝息 少し厚手のタオルケットが 二人

安心な僕らのなかにきっとぼくはいない。(超短編小説#24)

終電で最寄りの駅に着く 改札を出ると地面を覆う黒いアスファルトがいつも以上に濃くなっていた 天気予報のあたりもハズレもわからない カバンに入っている小さいポーチから イヤホンを取り出す 10年近く使っているiPodを取り出して それを差し込む なんでこの◯はジャックって言うんだろ 10年の付き合いになるiPodに向かって 不思議を問いかける なんとなく周りの人たちは 帰り路を早足で歩いているように見えて なんだか自分だけが違った場所に帰ってきて しまったような気持ちになっ

ぼくの夏休みはまだまだ終わらない。(超短編小説#23)

「今日さ駅前の通りのお祭りじゃん?」 ふと携帯の画面が明るくなった。 無条件に相手の顔を浮かべる。 「あーそうだね。功太が行くって言ってたわ」 LINEの送り主へ 胸のうちを悟られないように 自然に、自然にだ と言い聞かせながら 返事を打つ。 同じ部活の功太は 気だるそうに それでも行くという意思を 確かに含んだ言葉を 朝練の帰りに口にしていた。 朝練の終わる午前9時は 自習時間の教室のように ゼミがありとあらゆる音を 鳴らしていた。 午後2時のいま 2人のあいだ

彼女はすでにブラを外していた。(超短編小説#22)

時計を外して 顔を上げる。 そのまま90度の角度に 左向け左をすると 彼女はすでにブラを外していた。 「縛られるの好きじゃないんだ。」 そう口にした彼女の左手には 外したばかりの 黒いブラジャーが握られていた。 狩人に捕らえられた動物のように だらりと精気を失っている 黒いブラ。 薄暗くて狭いその空間で 二人が居直るときにだけ 音が空気に触れる。 その革張りソファーの鈍い音が 二人がここにいることを 唯一証明している。 彼女の唇がまたぼくの唇に触れる。 その

振られてとてつもなく死にたいと思ったのに、ぼくはまだこの世界で呼吸している。(超短編小説#21)

振られた。 大好きだった彼女に。 あんなに仲がよかったのに 振られた。 振られた直後のこの世界は 絶望という言葉が似合いすぎるほど 色を失っていた。 忙しいはずの3月も それより忙しい4月も 絶望のなかでの記憶は どこかあいまいで それでいてただただ ツライだけだった。 でもぼくは今こうして まだこの世界で 呼吸している。 「呼吸」という言葉を辞書でひくと 『息を吐いたり吸ったりすること』 と書いてある。 全然食欲がなくて うまく笑えなくて 急に悲しくなって 泣い

想い出は温かいスープのように。(超短編小説#20)

夕方の恵比寿駅はにぎやかで 春が来たように華やかだった。 気温が20℃近くまで上がった今日は 心の体温も上がっているように感じる。 改札を出て飲食店が 軒を連ねる通りを抜ける。 恵比寿西一丁目の交差点を斜め左に進むと 案内にあったカフェはすぐだった。 白い壁に木目調の床。 オシャレという言葉が溶けるほどに 浸透しそうな場所だった。 会話を楽しむ人々を抜けると 友人たちがすでに1つのテーブルを埋めていた。 「お疲れー。」「元気?」 そんな言葉を浴びると あのときの自

9月は切なくて。(超短編小説#19)

まだ暑くて夏が戻ってくるような それでいて少し肌寒いと感じる9月は 別れたはずなのにまだ連絡を取ったり 遊んだりしている恋人との時間に似ている。 正確にはもう恋人じゃないのか。 きっとまた夏が戻ってくるというのは きっとまた元に戻れるであり すっかり涼しくなってしまったは もう恋人には戻れないということを表していて 楽しかった週末と 会いたくて切なくて泣きそうな平日をも 表している気がする。 大好きな大橋トリオは 『君の居ないこの街に 慣れてしまう日もいつかくるだろ

ポケットにある会いたい。(超短編小説#18)

久しぶりにLINEをしてみたら すぐ既読になったけれど 土曜日と日曜日を挟んで 月曜日にも返信はなくて 火曜日の夜にやっと返ってきた。 週末はなにをしていたのだろう。 誰と過ごしていたのだろう。 返信のこない不安をかき消す喜びが あっという間にそんな不安に再び上塗りされて 胸のなかでザワザワと音がする。 いつ会えるのかな。 ポケットに手を入れると 週末は出張でまた忙しいんだ とポケットに手を入れた姿を 見られたようなメッセージがくる。 今日もポケットから 『会いたい

ビビッとこないだけ。(超短編小説#17)

先週の合コンで連絡先を聞かれた。 爽やかでなんとなく好みな感じだったから にこやかに連絡先を教えたけど あれから連絡は来ていない。 友達に予定を聞かれた。 ランチと聞いて問題なさそうな 日取りを送ったけど 自分のお気に入りのスタンプを最後に 『既読』という二文字が 無機質にこちらに顔を向けている。 こういうときは 上司にねちねち嫌味を言われ 仕事のメールの返事を忘れ 18時までにATMに立ち寄れない 自分なんて世の中にいらないと 思われてるのだ。 と全力で思うくら