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アザーサイド(超短編小説#30)

おやすみ。

そう口にしたあと、彼女はぼくが聞いたことのない大きめな寝息を立てていた。
いつも「寝息立ててるよ」と言われている側からすると、実体験を伴って初めて相手の気持ちが分かる。そういう瞬間だった。

規則正しく鼻か口から洩れる空気の音。
それを聞きながら、天井を見つめる。
細長い窓に入ってきた外の光が、微妙に合っていないサイズのカーテンの脇から天井に姿を映し出される。

どういう仕組みなんだろ。
もっと物理の授業をしっかり聞いていれば、屈折率とかに興味が持てていれば、この瞬間を少しは有意義にできたのかもしれない。
夜中に有意義なんて言葉、それが一番似合わないなと思っていたら、急にまぶたが重たくなっていき、いつの間にか意識が現実から遠のいていた。


ピーピーという電子音が鳴っている。
体を起こすと、慌ただしく温めたお茶を飲んでいる彼女の姿が目に入った。

「飲み終わったら出るね。」
彼女はそう言うと、流しにコップを置いて洗面所へ行き、手早く歯磨きをして玄関に向かって行った。

「プラダを着た悪魔」のアン・ハサウェイも、「モテキ」の麻生久美子も彼女と同じだった。
彼女たちの行動は男が朝ごはんどうしようか、はたまた昼過ぎくらいまで身を寄せ合ってまどろもうか、はたまた朝から昨晩と同じことを、なんて考えているのとは真逆だ。

男に提案も行動もさせる間もなく、彼女たちは身支度を済ませる。


勝手にガウンを身にまとったサイモン・ベイカーや、リリーフランキーになった気分になって、カーテンを開ける。
もう横断歩道の前まで歩を進めていた彼女がちらっとこちらを振り返る。
そしてタクシーを止めるくらいカジュアルに右手を挙げる。
こちらが手を挙げるのと同時くらいに、彼女の体は横断歩道に向かっていた。

ソファに腰をかけて、コーヒーでも入れてレコードでも聴こうかと思った。でもこの部屋ではコーヒーの粉は賞味期限が切れているし、レコードプレーヤーもましてやLPも1枚もなかった。
やはり現実は映画のようには流れないものなのだ。


テレビをつけると今日もいつものキャスターがニュース原稿を読んでいる。
テレビを挟んだ向こう側とこちら側では、同じ世界で同じ時間軸なのに、包まれている空気がまるで正反対のようだ。
いや正反対なのだ。うまく説明はできないけれど、きっとそうだと思う。

味わいたいという気持ちはないけれど、あのイスに座って初めてぼくは彼の気持ちが分かるんだと思う。


ブッブッとスマホの振動する音が聞こえる。
届いたメールを開く。

「なかなか気持ちよさそうな寝息立てて寝てたよw」

その一文はこの外の明るさみたいに、どこか柔らかかった。

人は知らず知らずのうちに、いろいろな境目をいったりきたりしているんだろう。
起きたらコーヒーでも飲みに行こう。そう思ってまたベッドの方へ歩を進める朝だった。


かめがや ひろしです。いつも読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、インプットのための小説やうどん、noteを書くときのコーヒーと甘いものにたいせつに使わせていただきます。