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ふたりでコンビニ行きたいの(超短編小説#29)

「じゃあそっちもゆっくり休んでね」
そう彼女が言うと2秒ほど静かな時間が流れ
「通話を終了しました」のモーダルが
スクリーンに映し出される。


今日もお互いの食べたもの
観たネットチャンネルのこと
よさそうと思った服のこと
簡単なレシピのこと
だいたい半径3メートルくらいで起こったことを
報告しあった。


今朝ごはん食べるときにパッと手元見たらさ
箸の色が赤だったんだよね。
食べ始めてから気づいたわ。

無意識に彼女の箸を使ってしまった話をしたら
彼女は画面の向こう側で笑いながら
のけ反るようにして一度画面から消え
なにそれ。と笑った。

2年という月日が本当なのか嘘なのか
よくわからないけれど
笑ったときに目が細くなる彼女の顔は
ぼくの好きなそれで変わらなかった。


ぼくらは家から出ることを禁じられている。
同じ国内にいてもそれぞれが移動を制限され
外出できるのもわずか1キロ足らずで
仕事もすべてオンラインになってしまった。



付き合い始めてちょうど2年の日に
ぼくらは入籍した。
もちろん婚姻届はオンラインで提出だった。
保証人の欄も仲の良い大学時代の友人に
署名してもらったものを
PDFで送ってもらった。

THE 結婚しました。
という婚姻届を2人で掲げる写真が撮れなくて
彼女はとっても残念がっていた。


去年の流行語大賞は
「オンラインで会える」
なんていう言葉の歪みを感じる言葉だった。


オンラインで顔を見れるというのは
なんとなく安心する。けれど
やはり隣にいないことを認識すると
別世界で生活していることを認識する。

目線が一秒足りとも交わらない世界で
今ぼくらは生きている。


会えなくなった当初は
触れたいなとか抱きしめたいなとか
性的な「会いたい」が強かったけれど
これだけ長く会っていないと
ソファでいつのまにか寝てしまっていたら
ブランケットかけてくれたなとか
汁物をおかわりするときは
一回器をゆすいでからまた盛ってくれたなとか
彼女の柔らかい優しさを思い出すことが
多くなっている気がする。


次に会ったとき
ぼくは彼女になんて声をかけるのだろうか。

毎日オンラインで顔を見ているから
久しぶりなんて言葉はなんだか違う気がする。
かける言葉に正解も間違いもきっとないのに
そんなことに考えを巡らせてしまうのは
相変わらずの変な癖だなと思う。


あるアーティストは
「ふたりでコンビニ行きたいの」
と歌っていた。
家の窓から見えるすぐそこのコンビニが
「ふたりで」なんていう簡単なひらがな
たった4文字を添えただけなのに
気が遠くなるほどの距離を感じた。


テキスト入力欄に「おやすみ」と打ち込む。
彼女のステータスは
「最終ログイン:3分前」
に変わっていた


明日も名前のない待ち合わせ場所で
ぼくらは顔を合わせる。


*歌詞出典
 相対性理論「わたしがわたし」






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