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己の中の何かとの対峙

こんにちは、かまぼこだよ〜。


「人は自分がなりたくないと思っている者になってしまう」
「人は自分の親と同じか、全く正反対の人生しか歩めない」

これは、わたしが今まで過ごしてきた人生で聞いてきた言葉だ。

「そんなことはない。」とも思うし、「そうだ。」とも思う。

初回に出そうとするnoteがこんなに重そうな幕開けでいいのか???
まあ、いいか。


自分の中の恐怖と向き合う力が、人にはきっとあると思いませんか。


これは、最近身に降りかかった出来事の振り返りと備忘録。




わたしには、大好きなパートナーがいる。
同棲している恋人は、歳下だ。

彼のことは付き合い始めからそうかな、と思っていた。
そう、というのは、何かしらの発達障害かもな〜という話である。

でも、そんなことは生活の上であまり関係がなかった。

楽しい、大変、なんでやねん、嬉しい、悲しい、安心...…
それは、恋人やパートナーと生活している人ならば多くの人が思う、色んなイベントや色んな感情の中で過ごしてきたからであり、そういった多くのことより何より、彼といる時間や、彼と一緒にいる自分も好きだからだ。

そんな中、ずっと心に引っかかってきたことがあった。

それはそれとして、ここまで色々思い当たるってことは何かあるよね???
なんで診断受けないん?????

楽しいとは言え、生活で色々と苦労してきた結果、ついこの間ADHDと診断された。診断を受けようと勧めて、彼と話し合いを重ねたのは、その方が頑張る方向性が分かってお互いに楽だと思ったからだ。

何度も言うが、そうは言ってもめちゃくちゃ仲は良い。
相手が言おうと思ったギャグは、だいたい自分も思いついているし、それで二人で笑っている。平和。

***

彼には所謂2Eっぽさがある。
(気になる人はググってね)
国立大まで出るような頭の良さと、生活でもIQの高さがある。
だから例えば会話をしたとしても、短時間一緒にいるくらいなら発達障害だとはバレない程度だと思う。

でも、会話していったらうまく噛み合わなくておや?と思われる、みたいな感じ。本人は典型的なADHDの特性のせいで、生活にかなり苦労してきた自覚があるらしい。そうだろうなあ。

実家では、ADHDの特性がベースにあるのに、普通だと信じて疑わなかった親御さんから虐待まがいのことも受けてきたとも聞いている。
実家との関係や、最近の様子を聞くとそうかな?と最初は信じていなかったし、寧ろ恵まれた環境で育ててもらってきてそんなこと言うなよと思い、始めはそれでケンカしたくらいだが、彼の行動から裏付けが取れてしまった。

ケンカした時や彼がいっぱいいっぱいになってしまった時、物凄く取り乱し、自傷行為をしながら幼稚園児みたいに泣き叫ぶのだ。何回直面しても心が痛む。
親御さんからは「実家にいた時と同じだね」で一蹴されるのだが(本気で言ってる???)、その様子を箇条書きにすると以下の通りだ。

  • 号泣して、叫び(ごめんなさい、奇声のようなもの、僕なんか居ないほうがいい等)、過呼吸になりかける

  • 涙・鼻水等流したまま土下座する(そんなの要求しないよ)

  • 髪の毛を毟ろうとする、身体を叩いたり、頭を壁に打ち付ける、首を自分で絞めようとする、つねる等いずれかの自傷行為が必ず伴う(すぐに止める、そんなことは意味がないから話し合おうと諭す、抱きしめる等する)

  • クローゼットに隠れようとする(そんなことしなくていい、そんなことより落ち着いて話そうと言って手を差し出すと明らかに怯える→「殴られると思った」と言われる)

  • 裸足で外に出て行く(すぐ探しに行って連れ戻していた)

上記のような行動が見られる度に、そんなことは必要ない、話し合いがしたい、大丈夫だと抱きしめて頭を撫でる、背中をさするなどを年単位で繰り返して最近やっとかなり頻度が減ってきた。よかった。

……いや、だから、実家に居た時どうしてたの???

病院を受診するのもかなりの葛藤の末だったにも拘らず、上記のような症状も「昔からそうだ」と気遣う様子もなく、診断に対しても「そうだと思った」というような言葉のせいで、今一番つらい思いをしている彼に対して寄り添いがないことで、温度差を寂しく思っている彼のことを側から見るのがつらかった。

そもそも、わたしとの交際のきっかけは、親御さんから愛されなかったから愛して欲しい、と助けを求めてきたかたちだ(どストレート)。
自分にも不遇な過去があったから、助け合って生きていきたいと思った。

それにも拘らず、体裁としては彼の家が仲良し家族を装うのがずっと疑問だった。いや、仲が良いには越したことがない、大好きな人には一番幸せでいて欲しい。それでも、彼から聞いている話や言動と、親御さんから彼への接し方、家族旅行や帰省回数、わたしには全てチグハグに見えた。

それは、彼が本当に優しいからであり、彼の言葉を借りれば、それで家庭がまわってきたかたちだと言わざるを得ない。

***

挙げ句の果てに、診断が出たことで親御さんへ今までのことへの説明と謝罪を求めた彼を経由し、「取り乱すのはわたしが原因かも」「彼と付き合うのはかまぼこちゃんの選択でしょ」と、わたしへ心無い責任転嫁オンパレードまであった。別に話の本筋では無いのでいいのだが、モヤった。

平行線の空虚な長文ラリーの末、やっと事の重大さに気がついた(?)親御さんから掌返しの連絡が来た。抱きしめてあげたい、本当にごめんね、だそうだ。ヨカッタネ。




えっと




は?????




都合がいい存在、かまぼこ。
そして都合がいい息子、わたしの大好きな恋人。

最初からそう言ってくれよ、信頼ってそんな簡単なものじゃないよ。
流石に調子が良すぎるというか、彼の気持ちすら全く考えていないよね?

気持ちやこれまでかけてきた労力は、そんな簡単に整理がつく代物じゃないよ。本来わたしがやらなくていいこと、含まれてなかった???

大切な人を散々ぞんざいな扱いしといて、それ、わたしのせいなの???

大切な人も大事にしないし、大切な人の大切な人もまた大事にしない人をどうやって大事にできると言うのだろう。

わたしに残っているのは、悲しみと哀しみと怒りと虚しさだけだった。

***

ここで、親御さんに相容れないと思う点を挙げておく。2つある。

  • 自分もつらい思いをしてきたから、息子がつらい思いをしても仕方がない

いや、のっけからおかしいな。
親御さんも親子関係があまり明るくなかったと聞いている。

でも、そのつらい経験をなぞらなくて良かったはずだ。
真反対のあったかい親になってよかったはずだ。
だって、つらいのを一番近くで見て、知っているのは当の本人なのだから。

親との関係というのは昨今散々話題にもなっているし、そんなのが話題になる前から全人類がきっとあらゆるかたちで悩んできたことだ(主語が大きい)。
だから、全く異なるものを与えたあげたらよかったんだ。

自分がつらい思いをしたら、自分の大事な人には同じつらい思いをしてほしくないというのは、親として以前に人として自然な感情ではなかったか。

正直全くわからない。

  • 他者は理解できないものだから、理解しない

は?

失礼。上記は、“そうしたくないと思っているとそうなってしまう”の人間関係やこの世にありがちなジレンマだとも思うから、許容できないが理解はするといったところではある。

ただ、一方で、この点は絶対に違う。

他者は理解できない。
他者というのは文字通りでの自分以外の人間だ。家族も他者だよ。
だから、家族であっても、恋人であっても、親友であっても、関係が近かろうが対話を尽くして、歩み寄りを重ねて重ねて、もちろんちょうどいい距離感を探しながら、何が嬉しくて何が嫌で、何が微妙で...…相手を知る努力をし続けない限りは、相手と心を交わすことは絶対にできないと思う。

自分を譲るとか、迎合するとか、相手に負けるとか勝つとか、そんな薄くてつまらない話ではない。

理解できないからこそ、理解しようと努力し続けることで生まれるものが、信頼であったり、安心であったりするはずだからだ。

***

そんなことより、彼が家族と離れてしまうことが一番悲しかった。

離れるために彼は声を上げた訳じゃない。
彼は、ずっと言おうと思って飲み込んできたこと、まあいいかとしてきたことを、一番つらいタイミングで、勇気を出して言っただけだ。
本当に仲が良い家族になるためにしたことだったはずだ。






親御さんと距離を置きたいと言った彼に、事実上の勘当が言い渡された。






一度、親御さんが寄り添おうとする姿勢を示してくれたこと、その姿勢だけを切り取れば、歩み寄ってくれたと肯定的にも受け取ることができるかもしれなかった。でも、これまでの行いや態度がなくなったわけではない。

当然不安だし、こちらから連絡するまで距離を置きたいと伝えたことも間違ったものではなかったはずだ。安心と時間が必要だから。

親御さんの立場でも考えてみよう。
歩み寄りを示したにもかかわらず、それを受け取ってもらえなかったという怒りに似た感情もきっとあったと思う。
そもそも、彼を育ててくる過程が大変だったのは事実だろうから。

でも、虐待をしていい理由にも、彼を突き放す理由にも、全くならない。
言いたいことを言えと言うならば、今までぶつかってこなかった分、受け止めてほしかった。綺麗事で固めれば、信頼を得られる訳ではないと思う。

いずれにしても、勘当を言い渡す道理は到底理解できなかった。

突然勘当を言い渡された驚きや悲しみだけでなく、なぜこんなことが起きたのかという理由が分からないことそのものが、わたし達が感じる全体への不信感なのだろう。




最初に戻ろう。

自分がなりたくない者にならないために、人には夢や目標が必要なんじゃないか、なんて思う。


自分が一番なりたくなかった者になることというのは、恐怖そのものだ。

わたしはそうなってしまうことが、とても怖い。


人は誰もがきっとお馬鹿さんなので、こうなりたくないと意識しているとそれに簡単に意識が持っていかれて、むしろ“そう”なるのだと思う。
わたしの30年に満たない人生でも実感があるのだから、きっとそんなもん。


だから、わたしはどうか常に優しくありたいと思う。

だから、わたしは感謝を忘れないようにしたいと思う。

だから、わたしは素直でありたいと思う。


全部、わたしにとって、とても難しいことだ。
でも、思うのはタダだし思っていないと忘れてしまうし、これを忘れないでいたら、彼のことも、自分のことも、大事にできると信じている。

彼が「かまぼこは優しいね」と言ってくれるから、たぶん、半分くらいはできている、たぶん。ありがとう。

でも、お腹空くとだめらしいので、まだまだですね。ごめんね。

すごく傷ついた。それはきっと親御さんとて同じことだろうとも思う。
今までのことを棚に上げないでね、とも思うけれど。
でも、一番傷ついたのは彼だ。なんとなく感じていたことが浮き彫りになり、突き放されたのだから、つらい。
どうか大切な人が大事にされる日々がきてほしいと願わずにはいられない。

親御さんとの関係は、今決めつけるのではなく、今は考えないでいよう、くらいのことだ。彼と親御さんとの関係は、いつか再構築をしてほしいと思うから。信じられるもの、本当は周りにいっぱいあったら嬉しいもの。



でも今は、二人の生活を守りながら、これからも大事に作っていきたい。

自分の中にある恐怖の影を凌ぐくらいの、彼への感謝を持って。



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