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大森実、西山太吉、内藤国夫 毎日新聞を去った大物記者の「名誉回復」いろいろ

西山太吉氏(1931ー2023)の死去で、改めて西山事件にスポットが当たった。

それで思い出したのが、西山の毎日退社の前後に、やはり問題ぶくみで毎日を退社した、2人の大物記者だ。

大森実と、内藤国夫である。


大森実(1922ー2010)は、1960年代の毎日新聞外信部長。

精力的なベトナム戦争報道で大変に有名だった。

しかし、米軍の北ベトナム空爆報道に、駐日アメリカ大使のライシャワーが文句をつけ、それに対する毎日新聞の対応が不満で、毎日を1966年に退社した。

退社後もジャーナリストとして活躍し、沖縄への米軍核搭載ミサイル配備を暴く(1968)など、のちの西山事件に続くようなスクープを放った。


内藤国夫(1937−1999)は、1960ー70年代の毎日新聞編集委員。

朝日の本多勝一と並び称される毎日のスター記者で、名文家として知られた。

西山事件の余波で毎日新聞が潰れた時、その再建の同時進行ドキュメントを連載して反響を呼んだ。

しかし、1980年、創価学会についての批判記事が、創価学会の協力で再建中だった毎日経営幹部の逆鱗に触れ、事実上、退社を強いられる。


西山事件との前後関係を年表にまとめると、以下のようになる。


1965年 ベトナム報道をめぐってアメリカ大使が大森を批判

1966年 大森実退社

1971年 西山事件 機密情報を西山に渡した外務省職員逮捕

1972年 週刊新潮が西山と外務省女性職員との不倫を暴く

1974年 西山太吉退社

1977年 西山事件とオイルショックで毎日新聞、潰れる(新旧分離)

1980年 内藤の創価学会レポートが毎日新聞社内で問題となる
      内藤国夫退社


いずれも不本意に毎日新聞を去った形だが、大森実と西山太吉については、マスコミ的にも、毎日新聞においても、「名誉回復」している。

しかし、内藤国夫だけは、名誉回復していない。

たぶん、次に毎日新聞が潰れるまで、名誉回復はないだろうが、池田大作氏がニュースになるようなことがあれば、あわせて思い出す人がいるかもしれない。


内藤の退社については、彼自身が『愛すればこそ 新聞記者をやめた日』(文藝春秋)に詳細に書いている。

私がマスコミに入った頃には、すでに3人とも伝説の記者だったが、西山太吉を名誉回復させるくらいなら、内藤国夫を名誉回復させるべきというのが私の考えだ。

西山太吉をあんだけ持ち上げておいてねえ。私は子供のころ、内藤の文章のファンだった(朝日の本多より好きだった)。だから、この扱いの差が気に入らない。

「国家」への反逆はOK(むしろ奨励)だが、「学会」への反逆は無条件でNGということだな。日本のマスコミの姿勢がわかるね。

仮に国家権力に強くても、宗教権力に弱きゃダメだろ。しかも、その宗教権力は今、国家権力の一部だ。何がジャーナリズムだ(軽減税率とかでお世話になったんですかねえ。知らんけど)。


ともあれ、この3人の去就を書いたら、ちょっとした戦後ジャーナリズム史になるな(ジャーナリストと組織との関係を考える上で興味深い)、と思ったので、その思いつきだけ書いておく。




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