私は「左翼に厳しすぎる」のか?
最近、何人かの人から「君は左翼に厳しすぎる」と言われた。
同時に、「自民党に甘すぎる」とも言われた。
立て続けにそう言われたので、客観的にはそうなのかな、と思う。
私はネトウヨか
私はもちろんプロの批評家でも思想家でも政治学者でもない。
一般人がものを言っているにすぎないので、誤りも偏りもあると思う。
とくにこのnoteは、気晴らしや憂さ晴らしで書いているだけだ。読んでくれる人もいるし、「炎上」とかされると困るので、最低限は気をつけているが、基本的には「一発どり」で、書きたいことを長考も推敲もなしに書いている。「言いたいことを言う」快感を最優先しているので、もちろんお代はいただかない。「中央公論」に書いているわけではない。
ただ、上のような批評をくれる人は、私が保守主義や右翼ではないことは知っていると思う。私はリベラルのつもりだし、友人たちなら私が右翼ではありえないことをわかっている。
それなのに、言っていることがネトウヨのようになっていないか、という注意だと思うのである。
それは正直、私も気になっていた。最近、ネトウヨと意見が合いすぎる、と。
ネトウヨも正しいことを言っているときはある。でも私は、すぐ民族差別をするネトウヨが嫌いなので、一緒にはされたくない。
認識の違い
「左翼に厳しすぎる」「自民党に甘すぎる」という批評に、直接反論したいわけではないのだが、その批評の前提になっているらしい「現状認識」の部分で、私とは違うな、と感じる。
そういう批評をする人たちは、以下の2つの認識があるようだ。
A 日本は右傾化している
B 自民党が強すぎる
そしてどうも、Aが原因で、Bが結果だと思っている。
「左翼への攻撃は、その否定的現状をますます強める。これ以上自民党が強くなっては、政権交代が不可能になり、民主主義が空無化して、自民党も働かなくなり、日本は停滞する」
というような意見なのだ。
私も、上記の「B」、つまり、自民党が強すぎる、には同意する。そして、政権交代可能な政治の方が日本のためだと思っている。
違いは、「A」の方だ。私は、日本が右傾化しているとは思っていない。
私は、
A 日本は左傾化している
B (だから)自民党が強くなりすぎている
と思っているのである。
自民党を強くさせているもの
私のように思っている人は、少なくないのではないか。
日本は右傾化している? しかし、銃で殺されたのは安倍晋三であり、辻元清美は事務所に生卵を投げつけられただけだ。
君が代を歌わなかったら殴られた、とか、天皇制批判をしたらしょっぴかれた、とかいうのであれば、右傾化していると思うが、そんなことはなかろうと思う。
国民の命と財産を守る安全保障の議論は、本来「右翼左翼」とは関係ないと思うが、その議論を妨げてきたのは、右傾化というより左傾化だ。改憲どころか、改憲論議すらさせてもらえなかった。「自民党が強すぎる」はずにもかかわらず。
たしかにメディアは「右傾化している」と叫ぶことが多いが、そうしたメディアの認識と人々との距離は広がる一方だと思う。
それでは、なぜ「自民党は強すぎる」のか。
それは選挙の結果である。
それは、左傾化する野党に国民が不安だからではなかろうか。
つまりは、左傾化している(A)から、自民党が強すぎる(B)。
それが私の認識だ。
左翼との間に線を引く
だから、必要なのは、野党が左傾化から抜け出し、政権交代可能な実質と体制を備えてもらうことである。
そのためにには、左翼とリベラルとの間にはっきりと線を引いて峻別することが重要だと考えているのだ。
人々は、左翼と右翼の違いや、保守とリベラルの違いには敏感だが、左翼とリベラルの違い、右翼と保守の違いには鈍感だ。
と思っていることを、いま改めて自覚したが(やはり、書きながら自分の考えを整理するのはいいことだ)、たしかにそう思っている。
左翼とリベラルの違いに鈍感だから、右翼や保守に対抗する人々が、リベラルではなく、左翼に引き寄せられてしまっている。メディアの偏向にも助けられて。
それが左傾化を引き起こし、それが自民党を強くしている。
つまり、自民党が強すぎるのは問題だが、同時に、というか、そう思うからこそ、左翼が強すぎることを問題にせざるを得ない。
私はそう思っていて、だから、左翼に厳しい。リベラルに本来の反自民党勢力を結集させたいからだ。
うん、だから私は、やはりネトウヨではない。安心した。