見出し画像

マスコミが使う「極右」、警察が使う「極左」

きのうのEU議会選のニュースで、「極右」という言葉が躍ったものだから、またこの言葉が妥当なのかどうか、議論になっていました。

「極右」という言葉については、すでに昨年、議論になっていて、わたしも記事にしています。


昨年、この言葉を問題にした、思想史の河野有理さん(法政大教授)や、日本保守党の飯山陽さんなどが、今回もまた議論に登場していました。


河野有理さん↓

極左、極右の「極」は単にイデオロギー軸上の程度の強さを指しているという考え方もわからないではないですが、そうであれば「極左」政党ももっと無いとおかしくない?というのはあるんですよね。なので私としては合法議会政党であるかどうかを基準にしてほしい。
(X 6月10日12:28)


「カス・ミュデは極右をさらに二つに分類した。extreme rightとradical rightだ…両者は自由民主主義の根幹でもある多様性を否定し、マイノリティーへの差別や移民排斥…しかし…手段が異なる。「急進的な右」は、選挙や議会など民主主義のルールを受けいれる。「極端な右」は違う」
(X 6月10日15:23)


最終的には「現在暴力的な手段を使ってないからと言って安心していいのか」で、なんとなく現状の用法を支持する主張とお見受けしますが、(1)区別しない方が警戒がうまくいくのかどうか、むしろ逆なのでは?という論点と、(2)その論法でいくならやはり共産党も極左なのではという論点が。
(X 6月10日15:35)


飯山陽さん↓

EU議会選挙と保守の蔑称としての極右
(note 6月10日)


マスコミが使いたがる「極右」


「極右」は保守の蔑称ではないか、という飯山さん。

共産党も「極左」と呼ばないとおかしいのでは、という河野さん。


どちらも面白い議論だと思うのですが、基本的な認識が抜けている気がするんですね。


それは、「極左」というのは、基本的に警察用語だということ。

そして、「極右」というのは、マスコミ用語だということです。


警察は「極左」を使いますが、マスコミは、「極左」を避けて、「過激派」などを使います。


警察関係者のためのハンドブックでは、以下のように説明しています。


「過激派」とは、日本のマスコミが彼らの戦術・行動に着目して名付けたものであり、ご承知のとおり、広く一般に通用しています。公安調査庁・検察庁などの法務省関係では、通常「過激派」「過激派集団」の用語を用います。しかし、警察当局は、これによらず、「極左暴力集団」の用語によっています。言うまでもなく、極左とは、日本共産党との対比してのことです。「過激派集団」も「極左暴力集団」も同一の実体を指しており、その概念としては、本質的に変わりがないとみてよいでしょう。
(田代則春『過激派集団の理論と実践』立花書房、1985、p2)



警察的には、「日本共産党より左」を「極左」と呼ぶわけですから、共産党を「極左」と呼ぶと、おかしなことになるわけです。


いっぽう、マスコミが、警察のいう「極左」を「過激派」と呼ぶのは、マスコミに「極左」出身者が多いからでしょうね(マジ多い)。

マスコミ用語の「過激派」は、警察のいう「極左暴力集団」の美称なわけです。(「新左翼」も使われる)


そういうマスコミにとって、右翼は敵ですから、少し右翼でも「極右」を使いたがります。


警察が使いたがる「極左」


いっぽう、警察は、「極右」という言葉を使いたがりません。

たとえば、同じ警察関係者が使うハンドブックに、『極左暴力集団・右翼101問』というのがあります。


警備研究会編『極左暴力集団・右翼101問』(立花書房、2000)


この書名に見られるとおり、「極左暴力集団」と「右翼」が対比されています。

保安上は、右も左も、同じ脅威のはずですが、「極右」とは言わない。


それはやっぱり、右翼方面には、むかしから警察関係者が多いからではないでしょうか。

もともと「極左」を取り締まっていた人たちが、「右翼」になることがある。「極左」に殺された警察仲間もいるしね。

だから、マスコミが「左」に親近感を覚えるように、警察は「右」に親近感を覚える。

(わたしの知識は古いかもしれないが、「共産党より左が極左」のような意味での「極右」は、今も警察で使われていないと思う。長らく警察・公安の敵だった「共産党」のような存在が、右方面にないから、「◯◯より右が極右」と定義できないこともあるだろう。警察は調書をとるから、言葉の定義にうるさく、定義のない言葉は使わない。「赤報隊」などがどう呼ばれたかは知らない)


まとめればーー


マスコミは左に甘く、右に厳しいから、「極左」は使いたがらず、「極右」は使いたがる。

警察は右に甘く、左に厳しいから、「極右」は使いたがらず、「極左」は使いたがる。


これを憶えておきましょう。



<追記 6月12日>

ルペンの「国民連合」を、読売・毎日は「極右」としたが、朝日は「右翼」とした。それについて、堀茂樹さんがXで説明していました。


朝日のかつてのパリ支局員・欧州総局長が、フランス政治を深く知る大野博人氏だったからです。実際、マリーヌ・ルペンを大統領候補とする「国民連合」の主張は、左右の軸では往年のドゴール右派辺りに相当し、M・ゴーシェなど独立不羈の哲学者・歴史家からも、もはや極右ではないと見做されています。



<参考>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?